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『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』萩原朔美(新潮社)

死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日

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 萩原葉子が亡くなったのは二〇〇五年の夏。著者が、老いた母の願いを受け入れ、同居をはじめてからわずか百八十六日後のことだった。「親不孝な息子」が、母との「慌ただしい別離」に向かい合うために書かれたのが本書である。

 父親が文学者の娘は、結婚生活がうまくいっていない場合が多い。

 先日、太田治子さんに会ったら離婚したという。やっぱりなあ、と思った。幸田文。広津桃子。津島祐子。思い付くままに何人か挙げていくと、みんな文章を書いている。母親もその一人だ。

 おなじ「作家の娘」でも、たとえば、葉子とも親交があり、父親の愛をめいっぱい浴び、それを生涯の宝物として生きた森茉莉などとくらべると、葉子には父親とその愛にまつわる幸せな思い出が薄いように思われる(まあ、森茉莉が極端であるともいえるのだが)。朔美はこう書いている。

 …母親が私にまったく父親のことを話さなかったのは、たぶん話が出来るような親子の交わりが希薄だったからではないだろうか。……「私の父」という情愛のこもった話を一度でもしてくれれば、孫の私の中で祖父は身近なものとして、リアリティーある人物としてイメージ出来たと思うのだ。……

 だから、祖父なる人物は、まるで教科書の中の写真のように、実体のない、触れることの出来ない幻で、血の繋がりを感じられない、まるでフィクションの存在に近いのだ。

 なにより葉子は、父の愛についてうんぬんする以前に、母の愛に恵まれない人であった。彼女の小説やエッセイのなかで、自分を捨てて家を飛びだした母親との二十何年ぶりの再会や、母不在の家での祖母による虐めにといった辛い思い出に触れればそのことが知れる。

 葉子の母、つまり朔太郎の妻であった稲子は、とても母親向きとはいえない女性だった。いつも家をあけてばかりの父も父だが、母もまたダンスに夢中になり、幼い葉子と妹をいつも置き去りにし、そのために妹は高熱をこじらせて障害を負ってしまったという。葉子が大人になって再会したときにも、母親としていたらなかったことをわびるどころか、娘を女としてライバル視するような人だった。

 本書には、若き日の稲子の写真がおさめられているが、そこには美女特有の自意識がむんむんと漂っている。一方葉子はというと、子どもの頃、祖母にしきりに醜いと罵られたと本人は書くが、父親似の大きな目元が凛々しい美しい人である。ただし全体的に表情がどこか暗く、母の愛を知らずに育った不幸を思わずにはいられない。

 朔美が小学生のとき、離婚をした葉子は、自活の道を教職に求めようとするが、人前で話すことがあまりに不得意なためにこれをあきらめたという。警戒心が異様に強く、神経質、くわえて極端なあがり症であったと朔美も書いている。いつもそわそわ、おどおどとして落ち着きがなかったというその様子は、写真をみただけでも想像できてしまう。

 それが突如として変貌するのは、四十代になってからダンスをはじめたことによる。葉子のエッセイによれば、ショウウィンドウに映った自分の太った姿に愕然とし、このままではいけない、と思ったことがきっかけだったのだとか。またそのころ、同居をはじめた母親の、老いた怠惰な姿もその動機となったらしい。母親のようにはなりたくないと、葉子は思ったにちがいない。

 以来、ダンスにのめり込んだ葉子は、自作の派手な衣装に身を包み、あたらしく本が出版されるたびにその記念の会で踊る、という社交的な人となった。辛い娘時代をすごした葉子は、ここにきて青春を取りもどしたかのようだ。

 「母親の関係する催しものにはめったに参加」せず、ダンスへの熱中もどこか冷めた目で眺めていた朔美が、はじめて葉子のダンスの発表会を観に行ったという思い出は、本書のなかで私がなにより愛するエピソードだ。 家族連ればかりの会場。ほとんどが十代から二十代の出演者。彼女たちと揃いのコスチューム姿で舞台に現れた母。それを観て客席はザワついた。

 あの人どうしたのかしら。そういうザワつきだ。若者の中に紛れ込んだおばさん。私は恥ずかしくてしょうがなかった。娘を観に来ている人たちの中でただ一人親を観に来た子供。長かった。やけに母親が踊っているグループだけが長く感じられた。終わると全員が一緒におじぎをする。隣の席の母親たちが、

 「ずい分年取った人、居たわよね」

 と笑った。私はその時初めて母親を応援しようという気持が生れた。親不孝な子供の心に、初めて芽生えた感情であった。

 映像や舞台の仕事をする萩原朔美が、シロウト同然の母親の晴れ舞台に居合わせる。それがなんともおかしいし、また萩原朔美らしいとも思う。

 作家・萩原葉子への私の興味は「作家の娘」であることだったが、萩原朔美に対しては、葉子の息子であるとも、朔太郎の孫であるともあまり意識されない。それは私が、まだ二十代の頃に朔美の書いたエッセイを古本で読み、そのファンであったためで、むしろ葉子のほうが朔美の母親、という感覚のほうが強い。

 萩原朔美は今年六十三歳だという、そのことに驚く。かつて愛読したエッセイを書いた当時の著者を、私はリアルタイムで知るはずもないが、朔美がいつまでも母・葉子を若い、と思っていたように、私も萩原朔美はいつまでも若いような気がしていたのだった。母の生と死を綴った本書を読んでも、この人はあまり変わっていないなあ、という印象をもった。著者は幾度となく、自分は「親不孝な息子」であると書くが、親孝行な萩原朔美、なんて考えてみればおかしなものだ。

 三十代の頃まで、よく人からマザコンじゃないか、と言われた。あなたは私が産み、育てた、と言われたら、息子はぐうの音も出ない。マザコンじゃない息子などどこに居るのかと思った。息子はみんなマザコンで、だからこそみんな母親に冷淡なのだ。

 これとおなじことをべつの六十代の男性にいわれたら、きっとぞっとするだろう。そう思わせないのは、葉子という母であり、朔美という息子であるからだと思う。

 離婚後、書くことに生きる道を見いだした葉子は仕事一筋の生活。幼い息子を厳しく叱りつけてばかりだった母は、息子が反抗期に入ると一転、まったくの放任主義となる。

 中学の頃から「別居」し、一緒にどこかへ出かけたという思い出もわずかで、ほとんど連絡もしあわずお互いにわが道をいくふたりの関係は、世間並みの親子のそれとはだいぶちがう。母親の愛を知らずに育った葉子は、自分が母としてどうあったらよいのかがよく分からなかったのだろう。けれど、親子なんてみなそれぞれ、葉子と朔美についても、これはこれでよかったのだなあと自然に思えるのは、息子に「濃密な人生」といわしめた葉子の生と、朔美のかわらぬ「親不孝な息子」っぷりにあるのだと思う。

 老いた母との同居にあたってのとまどい、母がひとり暮らした家の荒れ果てた様子や、山のように溜め込まれたものの処分と整理。介護生活のなかで老いた母に辛く当たったことへの後悔。よい思い出ばかりが書かれているわけではないが、決して重くも暗くもない。切なくも爽やかな読後感が残る。


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