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『さかさまの世界-芸術と社会における象徴的逆転』 バーバラ・A・バブコック[編] 岩崎宗治、井上兼行[訳] (岩波モダンクラシックス)

さかさまの世界

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人文学生のだれかれに、コピーして必ず読ませてきた

バーバラ・A・バブコック(Barbara A.Babcock)という人類学者に興味を惹かれた頃のことが懐かしい。近代オリンピック成立の神話的背景を扱った大冊で騒がれたマカルーンという人が、祝祭と自己言及を二大テーマにパフォーマティヴィティを広く扱った論集を、あまりの充実に瞠目してただちに今福龍太氏以下、当時最強の布陣を組んで邦訳したが(『世界を映す鏡』平凡社)、ぼくが担当することになったのがバブコックの全巻、現代思想そのものを上述のテーマに沿って一挙略取、それも思想家たち自身の言葉の引用で全面構成という、なんだか今福氏が筑摩書房刊『山口昌男著作集』巻一解題で明らかにしたアンソロジスト山口昌男そっくりのスタイルの不思議な文章だった。

なので、そのバブコックが今度は中心になって編んだ象徴人類学の好著 "The Reversible World"(1978) を落掌した時には欣喜雀躍という奴で、秩序逆転の言語的・文化的装置を、文学系6、人類学系6、都合12篇の力作論文で総覧させる相手を、文学系をぼく、人類学系をそちらに強い英文学の富山太佳夫氏で分担するプランを立て、企画化する前に少し試訳しているところに、既に版権とられているという話があって、随分口惜しい思いをした。だから著編者の諒解を得てとはいえ、理由も明らかにせず12篇を一遍に半分の数に減らした訳書を見て、若気の至りで少し毒づいてみたりもした。その辺の、いよいよ行くぞっという頃の自分のとんがった様々の構想や覇気が懐かしいのである。

その訳書『さかさまの世界-芸術と社会における象徴的逆転』は、いつ読んでも溜息の出る序文のためだけにでも一本購う価値がある。ベルグソンの笑い論からケネス・バーク、グレゴリー・ベイトソン、クリフォード・ギーアツといった言語や文化の根本的な身振りを追って、軽々と哲学や文学、社会学の枠を越えていった、既成学界への<否定>の陣営を、例によってそれら思想家自身のおびただしい発言の周到なモザイク模様で見せる。いうまでもなく、この恐るべき手だれは編者バブコックである。全巻のテーマがいきなり冒頭に示されるが、ケネス・バークの口吻の借用。

 文化の研究は、人間を人間たらしめる特性――記号をつくり用いること、「他の生物に優越する精神の卓越を表現する・・・言葉」(*)をもっていること――をふまえて行われる。だが、ケネス・バークが思い出させてくれるように、「言葉を使う動物としての人間の研究は、否定というこのふしぎな特質にとくに注意をはらわなくてはならない」。「世界へのこの巧妙な附加物はまったく人間の記号体系の産物」だというだけではなく、記号の使用そのものが「否定の感情(事物を表わす語は事物そのものではない、というコージブスキー的警告に始源をもつ)を要求する。とくに記号を常用する動物は、必然的にすべての経験に記号的要素を導入する。したがって、あらゆる経験に否定性が浸透する」。(岩崎宗治氏訳)

引用のカギ括弧だらけに注だらけ。ちなみに(*)の注は、シェイクスピア同時代の喜劇作者ベン・ジョンソンの言葉を、喜劇舞台の逆転テーマの古典的名作、ドナルドソンの『さかさま世界』が引いたものを引いた、と注記されている。万事この調子で、引用モザイクによる20世紀思想史の面目躍如。ベンヤミンからマクルーハンを貫く、おびただしい情報のリシャッフリングに、山口とかバブコックといった象徴人類学は断然系譜している。

論理一貫したアカデミックな記述法への、これはこれで戦略一杯の<否定>かつ<逆転>であるわけで、バブコックの叙述スタイル自体、たとえばパリ大学博士論文の荘重な書式を嘲笑したドミニック・ノゲーズの奇作『レーニン・ダダ』(ダゲレオ出版)のようにさえ見えてくるのが、たまらずおかしい。

「学術」書としては、むろん第一級品だ。古代以来の、男と女、人と動物の役割逆転を扱うアデュナタ(逆転世界)、インポシビリア(不可能事)の大主題から、脱構築といった<脱>の構造自体、このうえない<否>の力である20世紀の主たる反-知、反-哲学の流れまで、とりあげるべき人とテーマを実に要領良く、ほとんど完全に遺漏なく並べて、<否定>という磁場に厖大な引用を一挙帯電させ、大きな方向を与えていく手際にはまいる。その先は、同じ岩波書店から邦訳されながらなぜか今は読めないラディカル神学のマーク・C・テイラーの『さ迷う』が引き継ぐ。テイラーの『ノッツ nOts』(法政大学出版局)もある。

マニエリスム修辞学に顕著な聖俗、賢愚の逆転や融通を「パラドックスの文学」として総覧するロザリー・コリー『パラドクシア・エピデミカ』(1966)は本書の中核的アイデア源だが、こんなのあるわよと同僚寄稿者(第3章「女性上位」)のナタリー・ゼモン=デイヴィスに教えられてびっくりしているバブコックの姿が、信じられないが、可愛い。

バブコックは「この世のものはうしろ向きに見るときはじめて真に見える」という『エル・クリティコン』のバルタサール・グラシアンの名文句を全巻のエピグラフにしている。この明察ひとつを蝶番に、20世紀脱構築思想がマニエリスムの問題であったことが一挙に啓示される。バブコックさんたら!

山口昌男の仕事はバブコックの仕事そっくりだ、というぼくのオマージュを、「解説」の山口氏が「ぬけぬけと」引いている。本当に双生児みたいなのだ。そのことを山口氏はN・Z・デイヴィス女史との英語対談で再び言っていて、よほど嬉しいのかなと思う。バブコックにはもうひとつ、記号論 Semiotica を使った自己言及性の総力特集編集のすばらしい仕事があり、折りを見て日本語にして御覧にいれたく思う。

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