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『山口昌男の手紙-文化人類学者と編集者の四十年』大塚信一(トランスビュー)

山口昌男の手紙

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二度目読むときは、巨匠の手紙のとこだけね

20世紀後半、人文科学・社会科学が猛烈に面白くなった状況を反映し、というか演出しさえした象徴人類学のチャンプ、山口昌男の、初速から爆走までずっと四十年、直近で伴走した岩波書店編集者、大塚信一氏の、一代の知的仕掛人としての自伝、『理想の出版を求めて』の続篇ないし補完という一冊。

続篇を自らのかつてのカリスマ、「落ちた偶像」に仮託して構成するやり方では、四方田犬彦の自伝『ハイスクール1968』の後篇・補完本が『先生とわたし』であるのとパラレルである。四方田が師、由良君美への訣別を言葉にしたように、大塚は山口昌男への「違和感」をこうして公にした。同時代ということもあって山口氏が由良君美について辛辣なことを言っていたことが、この本でよくわかった次第だが、山口・由良といったかつてのヒーローたちへの、今年になっての最も身近だった人たちの訣別の辞は、これは何ごとと思わないわけにはいかない。

山口昌男という人は日常雑感をどんどん入れて「論文」を書く南方熊楠スタイルだから、何年にどこでどう動いていたか、ファンはかなり知っているのだが、それを一人の編集者への八十通余りの私信でわからせるというアイデアが、編集術の妙と言える。私信だから、山口氏の有名な罵詈雑言も一段と切れ味良い。

当然、人間関係の交錯が、多少のスキャンダルも面白い。たとえば同趣向の四方田本では1970年代、豊穣の出版人離合集散図の要石として燦然と輝いたせりか書房久保覚氏が、山口氏の私信では、本を出してしまえば後はなしのつぶて、印税も払わぬ怪しからぬ相手になる。「運動としての小出版社」ということを考えていた山口氏は裏切られたという思いを抱いたはず、と大塚は書く。書くのだが、同じ編集人間として、「金策」に駆けずり回っていた久保に共感してもいる。立場を変えて見ると、そりゃそうだと思えてくる。「本の馬鹿買い」の「つけをそちらに」という際限ない山口書簡を見ていると、「その度に上司に頭を下げ、経理担当者にモミ手をしなければならない」大塚氏の大変さに、此方も共感しないわけにはいかない。

「何を話してもこちらの方が知りすぎている」ので、会う相手ことごとくが脱帽し、レヴィ=ストロースエドマンド・リーチ、そしてオクタヴィオ・パスに絶賛され、それを嫉妬した下っ端どもが「飛びかかってきたけれど、小生はバッタ、バッタとなぎ倒し」という山口私信の部分が一塊りあって、それに大塚氏の説明と寸評が付くというやり方で、ドン・キホーテサンチョ・パンサ二人旅の体裁だ。面白おかしい手紙と読むと、「山口氏は演劇を愛するあまり、物事を劇的に語りたがる癖があるのではないだろうか」と、その「レトリック」をやんわり批判したりする。

気になるのは、発禁本でもあるまいに、やたらと「□□□□」(伏字)が多い紙面だ。「著者の判断で伏字あるいは(□行削除)」とした、とある。差し障りありそうな文面には必ず何行削除とある。何をどうカットするかは「著者の判断」。この「著者」というのは大塚氏のことだろうから、いったいその辺、手紙の書き手自身にはどう了解とったのだろう。せっかく高橋康也氏の名を「□□」にしたのに、その猛烈にバカにされているのが「東大」の先生で『道化の文学』の著者とはっきりしてしまっていては、本書を読むほどの読者はすぐわかってしまうだろう。この辺の配慮の基準はどうなのか。また、山口氏自身は「文化人類学における東西の手配師」としか言っていないのを、大塚氏の方で梅棹忠夫、泉靖一氏のこととしていたり、微妙なところだが、もっと風通しよくしてもらいたい。かえって、誰のことか考え詰めてしまう。

要するに一代天才道化知識人の世界を股にかけての書簡集、ということで読むなら、まことに気分爽快な読みもので通るのだ。

前略 しばらく御無沙汰いたしましたが御元気ですか。小生は、昨日朝パリを発ってミラノに参り、午後はミラノの新本屋で、クローチェのコメディア・デラルテ論(全集収録)とか、チェコの構造言語学・文学理論の指導者ムカロ[ジョ]フスキーのイタリア語訳、その他チェザーレ・パヴェーゼの神話論的分析、イタリアで出ているセミオロジー[記号論]関係を買い込んで発送を依頼。夜は、ピッコロ・テアトロ・ディ・ミラノでフェルチオ・ソレリ夫人に会い、ヴェデキントの「ルル」(地霊とパンドラの箱)のただの券をもらい、四時間の公演をみました。

人名と地名の高速なカレードスコープにこそ、本書の、余人には絶対敵わぬ魅力がある(四方田犬彦『星とともに走る』以来)。こういう極彩色の長文手紙が「すべて絵はがき」に変わった点に、「本当の山口昌男」が消え「山口昌男の本来の姿ではない」姿が現れてきた、という。文面に「本のことがない」。「かつての山口氏はどこに行ってしまったか」。「狭義の人類学的フィールドワークにほとんどコミットしなくなった」一方、「日本の問題に目を向け始めた」。1990年代になって、「宴の年月」の終りと「違和感」を感じ始めた大塚氏がその理由として述べるのは、そういう点である。マスコミにちやほやされ、「周縁」にいるべきが「中心」に、「有名人」になったのは「氏の理論そのものに背反する結果」である、と。変わるなと要求するのも相手が天下の山口昌男であればこそ、という言い訳がなければ、一編集者として笑止僭越である。山口本中、『歴史・祝祭・神話』が「もっとも好き」と言う大塚信一の好みはよくわかる気がする。あれを編集した中公の早川幸彦氏自慢の一冊だ。しかし、ぼくなら『道化の民俗学』が好き。それだけの話。

人に向かって「本来の姿」をうんぬんするほど君はえらいんですか。時代はずっと変わらないんですか。日本の問題に目を向けるの、ヒトひとり老いて当然のことではないのですか。一方で「半世紀を経て、本質的には何一つ変わっていない」相手が、最近では「自らの足跡に砂をかけて埋めてゆくが如く」である、と書けるこの矛盾、この気色悪いアンビヴァレンツで、一代のピカロの東奔西走の大活劇のつや消しをしてはいけない。『先生とわたし』の幕切れ数ページの居心地悪さとおんなじだ。激しくけなすなら、激しくけなしなさいよ。気色悪う。60年代、70年代の残党て、メッチャ、キショイんだよっ。

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