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プロの読み手による書評ブログ

『バーデン・バーデンの夏』レオニード・ツィプキン著、沼野恭子訳(新潮社)

バーデン・バーデンの夏

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ドストエフスキーに会いたい

 このツィプキン(1926-82)の小説は、ロシアの文豪ドストエフスキーについての小説である。ツィプキンは医者であり、その方面では活躍した人らしいが、ソ連体制下で「危険分子」などともみなされていたようだ。小説家としては、この作品があるのみらしい。こういう小説が出版されたのも、昨今のドストエフスキー・ブームと関係しているのだろうか。


 12月の冬、語り手(作者自身がモデルだろう)は、ドストエフスキーの夫人であったアンナの日記を手に、モスクワからレニングラードへと向かう列車に乗り込む。列車が走る中、語り手はアンナの日記を読んでいるのだろう、ドストエフスキーをめぐって、あてどない想念を展開する。本文が220ページほどあるのに段落が11個、平均すれば、22ページに1個しか「。」がないので、文字通り目が離せない小説だ。語り手の連想はあちらこちらへと飛ぶので、一つの直線的な物語のようなものを読者が頭のなかに描くのは難しい。読後に残るのは、ドストエフスキーの人生の、あのとき、このときの、断片的な姿である。

 そのようにして読者に提示されるドストエフスキーとは、どういう人物か。

 それは文豪のきわめて人間的な姿である。大作家にふさわしいような威厳のある姿では全然ではない。博打にうつつを抜かして借金に苦しみ、もうこれが最後だと言いながら、妻のアンナにお金を何度も無心し、すってんてんになっても、やはり博打から足が抜けないドストエフスキーである。お金を無惨にすってしまって、彼はアンナの前にひざまずき、手をとって口づけをし、ただただ涙を流して謝罪する。それは、ドストエフスキーが自分の体験をもとにして書いた『賭博者』の世界そのままである。面白いのは、このような賭博の話のなかに、ふと、作家としてのドストエフスキーの本質のようなものが垣間見えることだ。負けがこみ、身内が熱くなっていくなかで、ドストエフスキーは考える----

奇妙なことに、その人たち(=賭博場にいる人たち)の輪舞は哀れだった----彼らは、フェージャ(=ドストエフスキーの愛称)が身を任せたこのくらくらするような落下を体験することもできない運命なのである----屈辱的なのは、中庸や分別にしがみつこうとするどっちつかずの中間的な態度であり----彼らの態度がまさにそうだった----全身全霊を捉え心を動かす思想だけが人を解放し、自由にして、だれよりも高いところへ導いてくれる、たとえそうした思想を実現する手段が犯罪だとしてもだ----あの連中はみな、そうした思想に身を委ねる能力がないだけでなく理解することもできず、つねに打算的な考えで生き、何か勘定したり秤にかけてばかりいる----

 むろん、こういう感覚に身を委ねないと生きている気がしないというのは、典型的な精神的な病い、つまり依存症である。しかし、ドストエフスキーの「悪魔的な」と言っていいような作家としての力量は、ディオニソス的な熱狂と陶酔と、その陶酔の地点から錐揉みのように落下していく感覚をともに描くことができたところにあるはずだ。

 語り手が語っているのは冬。その季節に見合うようにして、語り手が描き出すドストエフスキーは、陰鬱で苦しみに満ちた毎日を送っている。流刑になったさいの屈辱的な体験のフラッシュバック、かつて自分が苦しい愛情をささげた女性の記憶、当時の文壇における孤立。あるいは、自分の懐をあてにしている肉親たちの無心を拒否することができずに、ふだんは夫に従順だったアンナから、「とんだ人類の庇護者がいたものね! いつだって親類の言いなりになってばかりいて!」と言い放たれるドストエフスキー

 長い長いセンテンスをじっと追っていくうちに、時折、冬の曇り空にかすかな青空が覗く。バーデン・バーデンというのは、ドストエフスキーとアンナの夫婦が新婚旅行で行ったドイツの町で、2人は一夏をその地で過ごした。繰り返し泳ぎのシーンが出てくる。「ふたりはまた泳ぎだし…リズミカルに息をしながら泳ぐふたりは、こうして泳いでいると際限がなく、もう今にも水から飛びだすのではないか、泳ぐのではなく空を飛びはじめるのではないか、カモメのように空高く自由に軽々と舞えるのではないか…」。しかし、これは、泳ぎのシーンではない。夫婦の性の営みが水泳のメタファーで何度も描かれるのだ(アンナの日記に、そういう婉曲表現が出てくるのだろうか)。2人には幸福な時間があり、人生の夏もあったのである。

 しかしながら、語り手は、ユダヤ系ロシア人であるらしい語り手(ツィプキン自身がユダヤ人)は、この偉大な作家についてどうしても納得のいかない問題にもぶつかる。この作家の反ユダヤ主義である。語り手は、作品のなかで何度もその問題へと立ち戻っていく。

私は胸をどきどきさせながら『作家の日記』を読み、反ユダヤ主義団体「黒百人組」のメンバーが口にするのと同じようなこうした議論に、せめて光明のようなものはないか…見出したかったのだが----見つかったのは、ユダヤ人に許されるのは自分の宗教を信じることだけで、それ以上は何もないという考えだけだった----それで、私にはひどく奇妙なことに思えたのだが、小説のなかではあれほど他人の苦しみに敏感で、辱められ傷つけられた人たちを熱心に擁護し、生きとし生けるものすべてが存在する権利を熱烈に、いや激烈ともいえるほどに説き、一本一本の草や一枚一枚の葉への賛辞を惜しまなかったドストエフスキー----そのドストエフスキーが、数千年にわたって追い立てられてきた人々を擁護したり庇ったりする言葉をただの一言も思いつかなかったのはいったいどういうことなのかということである----ドストエフスキーはそれほど物事の本質が見えない人間だったのか。

語り手は執拗に問う。そして、こんな作家でありながら、ユダヤ人の文学研究者がドストエフスキーを熱烈に愛してきたのはなぜなのか、みずからもまたこの作家についてこれほど考え続けているのはなぜなのかについて自問する。

 語り手がモスクワからレニングラードへと列車で向かっていたと書いた。列車がレニングラードに着いたあと、彼は、母親といちばん仲が良かったギーリャという老女の家に泊まって、文豪が没した家、いまはドストエフスキーの記念館になっている場所を訪れることになる。ギーリャは語り手と同じくユダヤ人である。そのギーリャがいろんな話をしてくれる。第二次大戦のレニングラード封鎖のときにはネコやイヌを食べるほかなかったこと。スターリン時代に泌尿器専門の教授であった夫のモージャが突然逮捕されたこと。彼女の上司だった有名な化学者がやはり投獄され、やがて国家に必要な学者として特別収容所に送られたこと。それは、ドストエフスキーが没したあとに、ギーリャというユダヤ系ロシア人の身の回りで起こった苦しく厳しい歴史の断面である。

 筆者は、このギーリャの物語は、ドストエフスキー反ユダヤ主義に対する作者なりの一つの答えのようなものではないかと感じた。ドストエフスキーユダヤ人を「民族」とさえ呼ばず、「ポリネシアの島々の未開人か何かのように『種族』」と言っていたと語り手は述べているが、語り手が記録するギーリャの語りは、ドストエフスキーの反ユダヤ言説のそばにそっと置かれた、「個人」としてのユダヤ人の生の営みのように思われるのである。

 しかし、それとまったく同等の重要性をもつのは、語り手が、ドストエフスキーという作家を読む、という行為の可能性を紛れもなく刻印してもいるということだ。ドストエフスキーが死刑を免れ政治犯としてシベリアへ流刑となったのは有名な話だが、思想犯の逮捕、「死の家」への連行という歴史は、ギーリャや語り手が生きている20世紀になっても変わることがなかった。この小説には、名前こそ出ていないが、ソルジェニツィンやサハロフ博士とおぼしき人物を連想する箇所があるが、政治的弾圧という、ロシア、ソ連に堆積している歴史を貫通して、ドストエフスキーはいまもって「われらの同時代人」であり続けている。ドストエフスキーがさらに長く生きていたら、その後のロシアやソ連の政治的抑圧を、ナチススターリン時代の反ユダヤ主義を、どう見、どう書くだろう。語り手はそんなことを考えているのではないか。――フェージャ、あなたは、このようなユダヤ人の悲惨さを目撃しても、それでもその反ユダヤ主義を語り続けるでしょうか。そして、帝政ロシアに生きたあなたはその後のソ連をどう見るでしょうか----ツィプキンはそう問いかけているのではないか。そして、そのようにして問いかけられるドストエフスキーは、人類の苦難を引き受けたキリストの姿に似ている。

 作品の最後で、語り手は、ドストエフスキーが亡くなった家を訪れ、「私は建物のすぐそばまで行った----角に表札がかかっていて、『ドストエフスキー通り』と書かれていた----でも私はなぜか名称を変える以前のまま『ヤムスカヤ通り』だと思いたかった」と書く。語り手は、ドストエフスキーの生きた時代へと戻って、個人としてのドストエフスキーと出会い、政治的な困難のなかでいかに苦しみ、いかに自分を支えていくべきなのか、そして日々の生活の不満や不安をも同じ体験をしてきたドストエフスキーと話しあってみたいとも思っているのだ。それは、「まず初めに私には死者と対話をしたいという欲望があった」(スティーヴン・グリーンブラット)ということなのではないかと思う。

 この小説にはスーザン・ソンタグの「ドストエフスキーを愛するということ」という題名のすばらしい解説がついている。この小説が感動的なのは、ドストエフスキーだけではなく、文学作品と対話することの意味、文学作品を愛するということの意味を教えてくれるからなのである。


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