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『錯乱のニューヨーク』レム・コールハース[著]鈴木圭介[訳](ちくま学芸文庫)

錯乱のニューヨーク

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●「マンハッタンはどこまで完璧でありえるか」

委員会が提案したマンハッタン・グリッド―――分割される土地は誰のものでもなく、そこに描き出される人々の群れは架空のものであり、そこに建てられる建物は幻影であり、その中で行われる活動は存在しない。」(p35)

 マンハッタンについて語ることにより、その隠れた戦略を暴き出し、自家薬籠中とすることにより、再びマンハッタンを構築すること。それがこの本の目的である。著者レム・コールハースは特異な建築家である。20世紀のモダニストが自らのイデオロギーを基に方法論を展開し、明晰なマニフェストを提示しながらも創作を展開していたのに対し、レム・コールハースは自らのイデオロギーを決して語ることなく、また自己の創作の方法論を明確に提示することもなく、ただマンハッタンの生成プロセスを語ることによってのみ、自らの創作の根拠を世の中に提示しようとする。しかしそれはそのまま逆説的にもセンセーショナルなマニフェストとなり、また具体的な方法論となり、新しい前衛運動の萌芽を単独の自己によって提示するものとなった。レム・コールハースの活動の軌跡、その数々の実作と理論は共に現在の建築界に絶大な影響を持ち続けている。

 著者により明示されてはいないが、本書の構成はマンハッタンの成長段階に沿って三つの主要な章に分けることができる。一つは「無意識的マンハッタニズム」、その次に「半意識的なマンハッタニズム」、最後に「意識的な(著者の言葉を借りるならば「予測されるべき」)マンハッタニズム」の章である。著者はまず、「無意識的マンハッタニズム」の事例として19世紀末にニューヨーク湾の入江の突端に位置するコニーアイランドと呼ばれる地区で、いかに様々な空想世界のテクノジーが生み出され、遊園地の形を借りてそのテクノロジーの応用が展開していったかを述べる。あらゆる先端的な電気的テクノロジーと機械的なテクノロジーの全てが、極度に人工的なテーマパークを構成するために動員され、その徹底的にアンリアルな光景にニューヨークの大衆は魅了されていった。まだ当時のマンハッタン島では今見る形での摩天楼の建設は行われてはいない。しかし既に原型としてのニューヨークが、マンハッタンの思想そのものが、余すところ無くこのコニーアイランドに存在していたことをコールハースは指摘する。

 次に彼は1920年代にかけて興隆を極めたマンハッタンの摩天楼の建設がいかにして行われたかを記述する。そこでは原型としての摩天楼がまず漫画家によって提示され、また類型としての様々な高層ビル群が提出されたことが語られる。しかしこの章で重要なのは、それらの摩天楼の完成図を描く専門のドローイング技術者として活躍したヒュー・フェリスという画家の存在である。この画家は、ニューヨークで1920年代までに整備されたゾーニング法を逆手にとり、将来構築可能な(予定されるべき)全ての摩天楼の姿を実験的なドローイングの手法を駆使して描いた。いわば、将来の可能性の極限としてのマンハッタンである。漆黒の木炭の平面的なドローイング手法によって切り取られたゾーニング法に基づく最大容積のレンダリングを取り出しながら、コールハースは、マンハッタニズムが「無意識的マンハッタニズムという第一の位相から半意識的な第二の位相へ」と移行したと語る。(p198)いわば、コニーアイランドという無意識のマンハッタニズムは、1920年代を通して半意識的(半計画的?)マンハッタニズムへと進化を遂げたというのだ。

 次に、本書の白眉ともいえる、ロックフェラーセンターの創造の章の記述が開始される。コールハースはマンハッタニズムの思想を体現する決定的な建築として、ロックフェラーセンターを「天才なき傑作」として取り出し、その創造に携わったひとりの摩天楼建築家、レイモンド・フッドの思想と実践を限りなく優しい眼差しで称揚する。そこではマンハッタンという、独自の論理を有した場所において、壮大な資本と時間とアイデアが投入された、想像を絶する規模の大規模複合施設が創造されたプロセスが克明に記されつつも、そのデザインが単独では決して行われなかったこと、しかしそこにおいてレイモンド・フッドが「タワー都市」という独自のメタフィジックスをもってその巨大な生産機構の中で、創造へと介入を果たしていったことが語られる。そのレイモンド・フッドの独自の思想が純粋に展開したドローイング(「マンハッタン1950」)を称して、レムは述べる。「この計画はそれ自体として、マンハッタニズムの新局面、すなわち<予測されうる>マンハッタンの段階が始まったことを知らせる証拠なのである」と。(p298)

 ここでは、独自の思想をもった建築家が、マンハッタンというそれ自体が巨大な運動メカニズムを有する都市の内部において、その独自の思想を、マンハッタンというメカニズムを損なわない方法で、むしろその状況を利用し、実現していった過程が語られている。その際にその戦略を彼は<予測されうるマンハッタン>として明確に掲げている。これ以後の章では、まさにその状況を利用せず、マンハッタンというメカニズムを損なう形での大胆な提案を行い続けたル・コルビュジェのニューヨークにおける悲喜劇と、そのメカニズムによって創作の手法をいわば「先取り」されたサルバドール・ダリがニューヨークにて自暴自棄のパフォーマンスを行い、警察に逮捕される様が描写された後、1938年のニューヨーク万博を境にマンハッタンという思想自体が凋落してゆく様が語られる。

 ひとことで要約するならば、コニーアイランドで誕生した「無意識のマンハッタニズム」が1920年代の計画的水準の導入により「半意識的マンハッタニズム」へと移行したが、その後マンハッタンという現象のメカニズムの将来を<予測>することにより、マンハッタンを再創造する、いわば「意識的なマンハッタニズム」という方法が今後あり得るということを、本書を通してコールハースは述べているのである。

 それは彼の建築家としての実践の全てでもある。本書の末尾には、「補遺、虚構としての結論」として、<予測されるマンハッタン>という彼の方法論を応用した70年代初期の数々の建築プロジェクトが収められている。ここでは「囚われの球を持つ都市」というプロジェクトを例にあげたい。そこではレムはマンハッタンの基礎となる三つの基本公理として「グリッド、ロボトミー(筆者註:表層と内部の乖離のこと)、垂直分裂―――だけがメトロポリスの領土を建築に取り返してやることができる」として、グリッドの上に表層と内部が乖離した、床が垂直に連なってゆくだけの、極めて衝撃的な都市計画のプランを提示している。さらにはその三つの基本公理系が解釈と修正されたものとして、その後のプロジェクトが続くとも述べられているのだ。(p490)。つまりマンハッタンは基本公理系として三つの命題に集約され、そこでその原理を応用することにより、無限にプロジェクトが連なることが予告されているのである。

 おそらく、かつてこれほどまでに破壊的に応用力のあるアーバニズムの理論を構築した建築家、都市理論家は近代以降では誰も存在していないのではないだろうか。グリッドによってありとあらゆるイデオロギー、プログラムや共同体や個人の多様性の共存が保障され、同時に内部と外部の乖離により、内部では外部との乖離によってその自由が他者の領域と抵触することなく保障される。そして、内部においては垂直の床の分裂が、ありとあらゆるプライベートな活動の自由を保障するだろう。

 この本で語られているマンハッタニズムと呼ばれるアーバニズムは、通常の意味でのアーバニズムを超えてしまっている。それは最大の自由と多様性を保障する20世紀の思想の都市計画水準での実例なのだ。それは別名、グローバル資本主義というメカニズムを機軸として私たちの生活を包み込んでいるものだ。もし私たちがグローバル資本主義において最大の自由と多様性を保障するアーバニズムを実践するのなら、私たちはこの本の射程がどこまでも遠大なものであることに、気がつくことだろう。

・関連文献

『S・M・L・XL』Monacelli Press.Inc ,1995

『El Croquis OMA/Rem Koolhaas 53+79』El Croquis,1998

『OMA@work.a+u レム・コールハース』株式会社エー・アンド・ユー,2000

・目次

序章

前史

第一部 コニーアイランド――空想世界のテクノロジー

第二部 ユートピアの二重の生活――摩天楼

第三部 完璧さはどこまで完璧でありえるか――ロックフェラーセンターの創造

第四部 用心シロ!ダリとル・コルビュジェがニューヨークを征服する

第五部 死シテノチ(ポストモルテム)

補遺 虚構としての結論

原註

謝辞

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