書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』(みすず書房)

Theme 8 忘れることで生まれるもの

www.kinokuniya.co.jp

Echolalias=谺(こだま)する言語、反響言語。それ自体としては姿を消し、忘れ去られた言語がテーマである。読者は10ヵ国語に通じたポリグロットの著者に誘われ、言語哲学、文学、神話、宗教学などさまざまな分野を横断しながら言葉の驚異の世界を巡る。
例えば、幼児の頃に発する雑音めいた喃語(なんご)。私たちは、成長の過程でこの喃語を次第に忘れることによって母国語を習得していくという。つまり、言語の獲得は忘却の上に成り立っているのである。そして喃語は消えたように見えても、Uh-ohのような英語圏で使われる動物の鳴き声のような感嘆詞にその音の痕跡を残す。失われたはずの音がエコーするのだ。
「消滅する言語」が危機感とともに語られてきた。話者を失い、死んでゆく少数言語を救わなくてはならない、と。しかし、この「言語の死」という生物学的な捉え方に著者は異議を唱える。言語は死ぬわけではない、誰もその死亡時刻は示せない。いくつもの言語が忘れられていくが、それらは時を超えて別の言語の中に反響しているのだ。本書を貫く強いメッセージである。
『エコラリアス』によって私たちは言語の本質とは何かを考えさせられる。そして、忘れることの豊かさをも知る。舌がないのに話せる少年の話など興味深い事例が満載の本書は、言葉についてだけでなく、とかく悪者にされがちな忘却という人間の営みについて考えたい人にも多くの知見をもたらすだろう。

東京大学出版会 斉藤美潮・評)