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『PLANETS vol.8』PLANETS編集部(第二次惑星開発委員会 )

PLANETS vol.8

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 何ヶ月か前のことです。私は雑誌「ダ・ヴィンチ」に、NHK大河ドラマ平清盛」の評論が掲載されているのを目にしました。「平清盛」の熱心な視聴者だったこともあって、興味を抱いた私は、読みはじめるやいなや、抑制された、柔らかで、しなやかで、そして強引な文章に絡めとられ、気がつくとリビングに立ちつくしたまま、4ページにも渡ってぎっしりと敷き詰められた活字を嘗めるように読んでいたのでした。

 Twitter上で大きな盛り上がりを見せ、これまで大河ドラマを見なかった世代に多く支持されたのにも関わらず、なぜか失敗という評価をくだされているこのドラマについて熱く語る著者の名は宇野常寛。なんだろう、この人。なぜこんなにも心に浸みこんでくるのだろうと思った私は彼の出生年を見て納得したのでした。1978年。同世代の人間だったのです。とにかく読み終わったとき私は思ったのです。「ついに私たちの時代が来た!」と。

 この気持ちをうまく説明するのは難しいです。しかし、前回も登場していただいた、コテコテ大阪人にして、私と同い年の紀伊国屋書店の社員さんも「イエス!」と叫んでいたので、多分、この感覚は間違ってはいないと思うのです。

 ファミリーコンピューターと共に育ち、アニメや特撮番組を見て青春を過ごし、目にもとまらぬ速さでポケベルを鳴らし、Windows98が発売されるや、PCのある生活に順応し、携帯電話は白黒画面からカラーへ、そしてタッチパネルへと買い替えていった私たち。 YouTubeニコニコ動画ユーストリームを視聴して、MixiTwitterFacebookやLineでありとあらゆる人との間に回路をつなぎ、人類補完計画なみのネットワークをはりめぐらせてきた私たち。

 そんな私たちに向けられる視線はいつも否定的だったように思います。ゲームやアニメやネットは常に「精神の未熟で社会性に乏しい若者が現実逃避に用いる麻薬のような存在」に位置づけられ、日のあたらない〈夜の世界〉へと押しやられてきました。そんな〈夜の世界〉に生きる私たちを、理解しよう、レッテルを貼ろう、カテゴライズしようと、たくさんの本が出版されました。しかしそれらの本で語られることのほとんどは、どこか決定的に本質を違えている。まるでところどころ文字化けした文章を読んでいるような気持ち悪さがある。少なくとも私はずっと思ってきました。

 現代日本を表現する言葉として「失われた20年」という言葉がある。日本は第二次世界大戦後の焼け野原から、もう一度、国を作り直し、そして1970年代の田中角栄の時代に社会や産業の基本システムがおおよその完成を見たと言われている。しかしこうした戦後的社会システムは、国内的にはバブル崩壊により、世界的には冷戦構造の終結により、あらゆる場所で機能しなくなりはじめている。しかしそのオルタナティブとなる新しいシステム、グローバル化時代に適応したポスト戦後的社会システムの構築は未だその青写真すら示されていない。僕たちはこの20年間、ずっと放置されてきた日本のOSを今こそアップデートしなければならない。そしてそのための手がかりは既にこの日本社会の内部にあふれている。それは「市民社会」(政治)や「ものづくり」(経済)といった〈昼の世界〉には存在しない。少なくともこれまでは社会的には日の目を見ることのなかった〈夜の世界〉――この20年で奇形的な発展を見せたサブカルチャーやインターネットの世界にこそ存在する。僕たちは、そう信じているのだ。

 宇野氏はこのような言葉で、『PLANETS vol.8』の巻頭を飾っています。彼のこの主張に対しては賛否両論あるでしょう。私だって、この雑誌のすべての評論に「イエス!」と思ったわけではありません。しかし、「ずっと放置されてきた日本のOSをアップデートしなければならない」というその言葉は、私がずっと抱えていた気持ち悪さの原因を、まるで二日酔いの朝に飲むソルマックのように、見事に氷解してみせたのでした。そうか。OSが違うのだ。古いOSで新しいアプリケーションが読みこめないのと同じなのだと。

 ここで話は冒頭の「平清盛」論に戻ります。「ダ・ヴィンチ」誌上で、宇野氏は、大河ドラマ平清盛」において、平安末期という舞台が「OSがとっくに時代遅れになっている」「いくら新しいアプリケーションを導入しても、まったく機能しない」社会、つまり現代の日本に重ねられて設定されていると論じています。そのOSを変える戦いに挑むのが「俺は海賊王になる!」という〈夜の住人〉にしかわからないパロディーの台詞を叫ぶ主人公・清盛なのです。だとしたら、この大河ドラマが〈夜の世界〉に支持され、一方〈昼の世界〉から黙殺された理由もわからないではありません。そして古いOSそのものである某県知事が「わかりにくかった」と苦言を呈したのも無理からぬことで、彼にこの大河ドラマを理解しろというのは酷にも思えてきます。

 つまり、すでに〈夜の世界〉の住人は若者でなくなっただけではなく、親になり、社会を支える中心世代となり、NHK大河ドラマの制作陣にもなっている。「古いOSはもうだめだ」とみんながうすうす感じはじめている。感じはじめてはいたけれど、その気持ちをうまく表現できずに、ただ気持ち悪いだけでいる。そんな人々の心にこそ、宇野氏の評論は、弾丸のように打ち込まれるのではないでしょうか。今回は比較的真面目に語ってみました。詳しくはこの雑誌を読んでみてください!


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