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『南の探検』蜂須賀正氏(平凡社ライブラリー)

南の探検

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 帯に「最後の殿様博物学者によるフィリピン探検記 60年ぶりに復刊!!貴重図版多数!!」とある。著者の蜂須賀の姓を見て、蜂須賀小六を思い浮かべた人が多いだろう。そう、著者は、阿波蜂須賀家第16代当主で侯爵、貴族院議員でもあった。


 本書は、著者が1929年2月11日にフィリピン諸島の最高峰アポ山(2954m)に初登頂するまでの記録を、一般向けに書いたものである。アフリカ、中南米など、世界各地を探検したにもかかわらず、一般向けに書いたものは本書しかない。ということで、本書には、ミンダナオ島のアポ山登頂に関係するものだけでなく、ほかの探検・調査や、欧米の生物学者との交流についても書かれている。


 わたしにとって、本書ははじめて読むものではない。しかし、改めて読み直して、学ぶ点がいくつかあった。まず、口絵Iの「フィリピン産太陽鳥及び花鳥の類(著者原図)」の5羽を見て、著者の観察力の鋭さに驚嘆した。そして、かねてより気になりながら、いまだに実現していないThe Birds of the Philippine Islands with Notes on Mammal Fauna, Parts I-IV (London: H. F. & G. Witherby Ltd, 1931-35)を見たくなった。学術的に貴重なだけでなく、噂に違わぬ美しいものだろう。フィールドワークをするには、なにかひとつ、技術的に「これは」というものを身につけておくべきだ、と改めて感じた。


 つぎに、本書の随所で語られている調査後の処置である。たとえば、このような記述がある。「一番広い私の部屋で、剥製に取りかかる。真夜中まで整理にかかったが、あまり身体が疲れたので、残りはホルマリン注射をして、長い一日をおえた。」どんなに疲れていても、その日の成果の整理をしっかりしている。その積み重ねが、後々ひじょうに大きな財産となることを、著者はよく知っている。調査前の準備と調査後の整理だけでなく、著者は、日ごろから基本的作業を続けていたことが、つぎの文章からもわかる。「数年前から日本で発表される鳥学に関する論文全部の抄録を私が書いてフィラデルフィアに送る約束になっており、それを向こうでは毎年出版される「抄録集」に載せることになっているのである。こんな仕事は学者の仕事というよりも秘書の仕事に等しくてつまらないが、どうしても年内にやってしまわないと良心が咎めるような気がする。」「つまらない」仕事を他人に任せず、自分自身で丁寧にすることが、鋭い観察力を培い、自分の研究を相対化できるようになったのだろう。


 そして、自分の力を過信することなく、見知らぬ土地ではその土地に通暁した人を見つけ、その人のアドバイスを素直に聞いて、無理をしないことを体得している。アポ山登頂では、わずか12、3歳のウバという名の少年がもつ、鳥獣にたいする並々ならぬ知識を見抜き、ことばもわからないのに連れて行くことを決めた。そして、「今までの学者の研究に間違いがあることを発見した。ミンダナオのような熱帯における採集にウバのような者を連れて行くことは絶対の必要条件である」と述べている。


 欧米の研究者との交流では、著者が侯爵の肩書きをもっていることが大いに役立っている。現在の皇族も、天皇はじめ研究者でもあり、皇室外交に役立っている。かつて、ヨーロッパの王侯・貴族が文化・芸術のパトロンであったことはよく知られているが、20世紀には自ら研究者となって調査をしている人たちがいたことがわかる。しかし、このような人びとの調査は、戦前では戦略的に使われたことも、忘れてはならないだろう。調査に随行した人びとや警護の軍人のなかに、諜報・工作活動に従事した人がいたとしても不思議ではない。日本でも、戦前、海外の民族学調査や探検に、巨額の資金が費やされたことは、そのことを如実に物語っている。


 ともあれ、本書は、現在、地域研究などでフィールドワークをおこなっている学生・大学院生、研究者に、調査の成果を報告書として残すためには、どのようなことをしなければならないか、多くのことを教えてくれる。


 蛇足だが、著者はBritish Museumを「英国博物館」と訳している。一体いつから「大英博物館」というようになったのだろうか。戦後だと、問題にしていいかもしれない。

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