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『漁民の世界-「海洋性」で見る日本』野地恒有(講談社選書メチエ)

漁民の世界-「海洋性」で見る日本

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 「終章 日本文化の基層としての「海洋性」」は、読みごたえがあった。著者、野地恒有の「海洋性」論に、引き込まれていく。それまでの第一~五章の具体的な事例で、のんびりした海辺の情景を楽しんできただけに、その落差は大きい。そして、その海辺の情景が「終章」に収斂して、論理的に語られる。



 著者の「海洋性のとらえかたは、柳田[国男]や宮本[常一]や北見[俊夫]のそれとは根本的に異なっている」。「私は、海に由来していそうな事例群を海洋的要素としてあげて、それらを南から来た海民が運んで伝えた跡と解釈したのではない。そもそも、こうした海民は海洋的要素を運搬し伝道する者という見方については第四章で否定した」。「海洋性とは、日本が豊かな海に囲まれ抱かれることによって、そしてそこに住む人々が海を意識することによって、歴史的に後天的に育まれてきた性格である。海洋性は、渋沢敬三桜田勝徳が言ったように、地域漁業の実態と海産物消費の習俗との相互関係によって作りだされ支えられてきた特徴である(第一章)。そして、私は、海洋性とは海から来るものとの交流や交感によって維持され活性化されてきた社会や文化の特徴であり、そこから抽きだされた仕組みや論理のことであるとした」。


 そして、著者が「なぜ田植えのときにイワシを食べるのか」「山村でも神事の供え物には海の魚を使うのか」と問うて、「日本文化の基層としての海洋性」を明らかにしていった背景には、著者独自の「定住」の考え方がある。「漂泊の対極にイメージされる農耕を営んで土地に縛りつけられているだけが定住ではない。漂泊は非農業民と結びつけられるが、漂泊的に見える彼らの活動も定住のさまざまな様態の一つをあらわしているともいえる。定住にはいろいろなかたちがあるのだ」という。さらに、つぎのように説明する。「定住ととらえたからといって、陸や農耕を中心とする考えかたにとらわれているのではない。海(海洋性)で見るというのは、「陸=定住」に対する「海=漂泊」の視点を提示することではない。海(海洋性)から陸(定住)をとらえているのである。そしてそこから析出されたのが、ゆるやかな定住という姿である。ゆるやかな定住からいえば、漂泊民は実在しない」。


 日本は、「ゆるやかな定住」社会であるという結論を導き出した著者は、その共通した特徴をつぎのようにまとめている。「一つには、漁撈技術の専一性である。移住漁民は、得意とする技術に専一化してスペシャリストとして、移住先の地域のなかに自らのポジションを作りだしていく。しかしそれが継続不能になったとき、その技術を捨ててそこに居続けようとするのではなく、その技術が実行可能な別の地域に移動する、という選択肢を持っている。マイナス要因により従来の生活形態を続けることができない状況に陥ったとき、その地域のなかで自らを変えて対処するのではなく、従来の生活形態を維持するために次の定住地を求めて移動することを選択しうるのが移住漁民の生きかたである。定住を続けている移住漁民はいつか移動しようなどと考えながら生活しているわけではない。しかし、彼らが専一的な漁業をおこなっているということは、つねに移動の可能性が用意されているということである」。


 ここに稲作農耕民社会とは違う「もう一つの日本」がある。ということは、本書でいう「海洋性」とは、日本だけでしか通用しないことなのだろうか。本書で紹介された「漁民の世界」は、国民国家日本の成立過程と密接に結びついている。基層にある海洋性が、近代国民文化として顕現化したときを、著者は的確に捉えたということなのか。流動性のある「海洋性」が、日本という枠組みでひとつの文化を創ったということができるかもしれない。本書は、「海洋性」を触媒として、どのような文化が生まれたのか、世界的な規模で考える好事例を提供したといえる。そして、大切なことは、陸の基準で海を見たのではなく、海の基準で陸を見たことである。


 本書では、国境を越える「海洋性」の記述はほとんどない。日本という社会・文化を「海洋性」という視点でとらえたにすぎず、「日本」という大前提のもとで議論され、「海洋性」そのものが考察対象とされたわけではない。しかも、陸とのかかわりで「海洋性」を見ている。したがって、日本の「海洋性」を支えた人びとは「漂泊民」ではなく、「定住者」の一形態だと結論した。「陸」と「海」の共存・共生という考え方からだろう。従来の「海」にかんする研究は、「海」を陸に従属するものとしてとらえるものが多かった。本書のように、「海」を「陸」と対等に見る見方は少なかった。さらに、「海」のもつ自律性に注目する研究は、ようやくはじまったばかりだ。本書の「ゆるやかな定住」という考え方は、流動性が激しくなってきている現代社会を考えるにも、有効であるように思える。


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