『雲の都〈第3部〉城砦』加賀乙彦(新潮社)
「続いている話」
加賀乙彦のファンである。何がいいかというと、小説が長いからだ。たとえば、死刑囚の物語である『宣告』は新潮文庫で3冊(上|中|下)。第二次大戦前後を時代背景に、アメリカ人の妻を持つ日本の外交官・来栖三郎の一家をモデルにした『錨のない船』は講談社文芸文庫で3冊である。「小説が長い」なんて褒めたことにならないと言われるかもしれないが、そうではない。これは最大の褒め言葉でつもりである。短篇小説を差別するわけではないが、小説はやっぱり長編がいい。海外に比べると、本格的な長編小説家は日本には少ないように思う。だからこそ加賀のような作家は貴重なのだ。
『宣告』や『錨のない船』はもちろんいいと思うが、ぜひとも挑戦していただきたいのが、長さ、内容の両面において、まさに加賀のライフワークと言っていい「永遠の都」シリーズと、その続編「雲の都」シリーズである。「永遠の都」は新潮文庫で7冊(1.夏の海辺|2.岐路|3.小暗い森|4.涙の谷|5.迷宮|6.炎都|7.異郷・雨の冥府。ただし、筆者が読んだのは、文庫版に再編成される前の単行本で、当初は『岐路』『小暗い森』『炎都』という名前だった。各2巻で計6冊)、その続編の「雲の都」シリーズは今回で3冊目である(1.広場|2.時計台|3.城砦)。「雲の都」はたしか今回で完結だったはずである。この第3部が雑誌に連載されているころ、この長いシリーズもいよいよ完結らしい、というので、「永遠の都」「雲の都」を読み、残り1冊が出るのを待っていた。待つこと2年、ついに最終巻が出たと思っていたのに、どうやらこの巻で完結するのではないらしい。いささか拍子抜けもしたが、「いつまでも読んでいたい」長編小説を書くのが筆者にとっての加賀の魅力なのだから、楽しみが終わらなくてよかった、という気もしている。「続いている話」という題名をつけた所以である。
作品の出来としては、後続の「雲の都」シリーズよりも、日本が戦争に負けるあたりまでの、祖父や親の世代について書いた「永遠の都」シリーズのほうが物語のスピードもゆったりしているし、丁寧に書かれているという印象を受ける。とりわけ印象深いのは、悠太(=加賀がモデル)の母方の祖父である時田利平である。明治の立志伝に出てくるような利平は、東京・三田綱町の慶応大学のそばで大きな病院を経営している男である。自分の病院の看護婦にはどんどん手をつけてしまうような淫蕩の血をもつが、反面、仕事の面においても精力絶倫で、病院はどんどん大きくするわ、いろんなものを発明して大儲けはするわ、自分の盲腸の手術を自分でしてしまうわ、もうとにかく八面六臂の大活躍の男である。そして、この利平の娘たち、そしてその子供たちもまた、父あるいは祖父の淫蕩の血をいくぶんかは引き継いでいて、ほぼ三世代にわたるこの物語には不義の物語がいくつも含まれることになる。おもしろくないわけがない。
残念ながら、筆者のまわりのいわゆる文学好きが加賀乙彦の話をしているのをあまり聞いたことがない。たしかに、大西巨人『神聖喜劇』(1|2|3|4|5)や野間宏『青年の環』(1|2|3|4|5)、あるいは金石範『火山島』のような、社会的な問題をぐっと深く掘り下げていくような力はない。大西の日本の小説家としては異常なほどの論理癖や、野間の象徴主義的で執拗な描写力などの文体的な強い個性は加賀には皆無である。
しかし、小説というのは、加賀の小説みたいなのを正統というのではないか。個性の強い医者を重要な主人公とするという点において類似といっていい北杜夫の『楡家の人びと』(上|下)や、加賀も高く評価する野上弥生子の『迷路』(上|下)のような、良い意味でのメロドラマ性を備えた長編小説こそ、小説らしい小説と筆者は呼びたい。
もうずいぶん前だけれど、加賀乙彦がテレビに出演されているのを見たことがある。加賀は、小説を書くのが本当に好きで、なにかの集まりでお酒を飲んでいるようなときでも、早く家に帰って小説の続きを書きたいなあ、と思ったりするのだそうだ。加賀の小説を読んでいても、この人は、書くことがつらくてつらくて、というタイプではなくて、根っからお話を書くのが好きなのだなあ、というふうに感じる。
『錨のない船』の解説で秋山駿が概略こんなことを書いている。『帰らざる夏』や『宣告』はいい作品だと思うけれど、そこに漲る緊張感のせいで人間の描き方がちょっと硬い。それに比べて、『錨のない船』は、ふっくらと描かれていていい、と。まったくそのとおりだ。そして、その美質は、この「永遠の都」「雲の都」においてこそさらに遺憾なく発揮されていると思う。そして、この「ふっくら感」というのは、加賀が小説を書くことを心から楽しんでいることと無関係ではないように思う。大西や野間が辛そうに小説を書いているとは思わないが、作品に漲る緊張感がときに読者を疲れさせることも事実なのだ。
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「続いている話」という題名で書き出したこの書評は、ここまでで半分である。いささか長くなってしまうが、大長編小説の書評なので、いま少しお付き合い願いたい。「続いている話」という題名をつけることになったもう一つの理由を書きたい。
あれは「雲の都」の第一部であったと思うのだが、悠太が、医者になるべく大学の解剖実習の授業を受けている場面があった。階段教室のうしろ、つまり上のほうから、半円形の擂鉢状の底の部分で、解剖が行われているのをぼんやりと眺めている、たしかそんなシーンだったと記憶している。筆者はそのシーンを、仕事の都合で参加した日本英語学会という英語学・言語学系の学会のシンポジウムの休憩時間に読んでいた。そのとき、突然、啓示のように気づいたことがあるのだ。自分は階段教室のいちばんうしろの席で、その本を読んでおり、そしていままさに読んでいるシーンと、自分がいる場所が酷似しているのである。階段教室、そして擂鉢状の底の部分には、蛇口があって、そこには解剖が行なえるようなシンクも設えられている。これはもう、酷似などという生易しいものではない。じじつ、悠太が学んだのは東京大学医学部。そして筆者が座っているその教室もまた東京大学医学部の教室!(教室が確保できなかったのか、なぜか筆者が参加した言語学のシンポジウムは医学部の教室で行なわれていたのだ)。小説に出てくる教室とたぶん同じ教室に自分は座って、その小説を読んでいると確信した。この驚きはちょっとうまく説明できないぐらい、こんな偶然ってあるんだろうか、というような鮮烈な体験であった。
(余談だが、ラテンアメリカの作家フリオ・コルタサルに「続いている公園」という2ページ足らずの短篇小説がある。「二、三日前に読みはじめた」という小説の架空の世界に引き込まれ、読み進んでいくうちに、「まわりの現実が遠のいていく」。しかし、語られているストーリーはやがてメビウスの輪のように現実へと反転して、「小説を読んでいる」その男の現実へと話が戻ってくる、というコルタサルらしい短篇である。「ちょっとうまく説明できない」と書いた上の体験は、このコルタサルの衝撃のラストに近いと感じる。コルタサルとは作風の点でおよそ対極的な存在の加賀乙彦の小説を読んで、コルタサルを思い出すとは、これまたなんと奇妙な体験であろう。)
さて、その体験からのことであったろうか、フィクションとしてのこの小説はいったい、どこまで現実をベースにしているものなのか、いろいろと気になりだした。
たとえば、先に触れた時田利平の病院のこと。小説では、彼の病院が拡大するのに伴い、増築に増築を重ねて、しまいには巨大な軍艦か要塞のような建物になったと書かれている。そんな病院はじっさいに三田綱町にあったのだろうか。そこで、筆者が仕事の関連でお世話になっている慶応大学の先生に「昔、慶応のそばにそんな病院があったんでしょうか」とお尋ねすると、さあ大変、戦前の地図まで図書館で借りてきてくださって、さらには当時そのへんに住んでいたと思しき慶応大学のOBにまで連絡してくださった。どうやら、小説に描かれているような巨大な病院はなかったらしいが、小説の描写と同様に、日露戦争のさいの日本海海戦での功績でもらった金鵄勲章を飾ってある病院が慶応大近くにあったらしいことがわかった。
悠太は、戦争中、名古屋の陸軍幼年学校へ行ったことになっている。これまた加賀自身の体験に即していて、彼は『帰らざる夏』でもそのことを書いている。たまたま、仕事の関連で、名古屋の陸軍幼年学校へ行った経験のある、いまは英文学者となった方に、加賀についてご存知でしょうか、とお尋ねした。すぐに小木貞孝(加賀乙彦の本名)さんはぼくの一年上です、と言下にお返事が戻ってきたのであった。
「小木貞孝」をグーグル検索したこともある。小説では、悠太は、大山田という名前の東京の下町でセツルメント活動に励むことになっている。ネットであれこれ検索してわかったのは、悠太ならぬ小木貞孝がじっさいにセツル活動に励んだのは大山田ではなく大谷田という場所であるということであった。
どうしてこんな調査に夢中になってしまうのかよくわからない。文学碑だの、作家の生家跡だの、文学散歩のたぐいの趣味は筆者にはまったくない。そういうのを軽蔑していたぐらいなのに、加賀の小説にかぎっては、そうではないのだ。『「永遠の都」「雲の都」の真実』というような本が出たら、筆者は日本でほかの誰よりも先に本屋へ走るだろう。
加賀は祖父がつけていた日記や自分自身の体験などを元にこの小説を書いたそうである。現実を踏まえて小説を書いたのだから、小説のなかに現実の痕跡が存在するのは当たり前といえば当たり前なのだが、筆者が感じているのは、それとはまったく逆の感覚である。それ自体で完結していると思われていた虚構の世界の外側に、いわば「虚構世界の痕跡」と思われる現実がそこここに発見できてしまうということに奇妙な倒錯感覚を持つのだ。
月に一度ぐらいの頻度で、三田の慶応大学を訪れることがある。慶応へ向かって緩やかな坂を上っていくときなど、ああ、これが、時田利平をはじめとする人びとが何度も行き来した坂なのだなあ、と思い浮かべる(この時点ですでにフィクションと現実は混同されている)。そこから連想は、一族の出発点というべき利平の強力な個性やら、戦前、戦争、戦後の大正から昭和という時代に生きた人びとの生の軌跡へと広がっていく。そして、そのようなことを小説に描いた加賀乙彦という人がいまも筆者である私と同じ時代の空気を吸って小説を書き続けていることが、なにか非常に不思議なことのように思われてくるのだ。
さて、3月に刊行されたこの『雲の都』の第3部。むろん、これだけを読んでほしいということではない。加賀の自伝的大河小説をぜひ最初から読んでほしい。ストーリーはもう学園紛争の時代まで来た。安田講堂も陥落した。精神科医である悠太は医者としての忙しい日常のなかで、処女作となる作品を執筆中である。加賀の処女作『フランドルの冬』の出版は1967年だから、現実とフィクションはちょっと年代的にずれがあることを今また確認したばかりだ。加賀はこれからの悠太をどう描くのだろう。
第4部を一日千秋の思いで待つ。