『アルシテクスト序説』 ジェラール・ジュネット (書肆風の薔薇)
ジュネットのテクスト論三部作の最初の本で、アルシテクストとはテクストの原型というほどの意味である。ジュネットは文学テクストの原型がいくつあり、文学の場がどのように分割されるかを論じている。つまりはジャンル論ということになるが、ジュネットの枚挙主義の意義はわかりにくいかもしれないので「構造主義と文学批評」の一節を引いておこう。ジュネットは子供の言葉の習得が単に語彙が増えることによってではなく、語彙の内的分割――細分化によっておこなわれると指摘し、文学も同じだと言っている。
つまりそれぞれの段階で子供が用いる幾つかの語は、彼にとってことば全体であり、彼はそれらを用いてあらゆる事物を、徐々に正確にではあるが、不足なく指すのである。同様に一冊の書物しか読んだことのない人にとっては、その書物が語の本来の意味で彼の「文学」のすべてであり、彼が二冊読んだ時にはその二冊の書物が彼の文学場全体をいかなる隙間もなく分割することになり、以下同じように続いてゆく。そしてまさに文学が埋めるべき隙間を持たないからこそ教養は豊かになることが出来るのである。
クノーはすべての文学は『イリアス』か『オデュッセイア』のどちらかだと述べたそうだが、その場合、『イリアス』と『オデュッセイア』がアルシテクストということになり、文学全体は『イリアス』型と『オデュッセイア』型の二つのジャンルに分割されることになる。ジュネットのテクスト論はこうした分割を精密化していくことによって展開される。
本書にもどろう。文学ジャンルの研究をはじめておこなったのはアリストテレスの『詩学』で、多くの本ではアリストテレスは文学を抒情形式、叙事形式、劇形式の三つにわけ、悲劇を文学最高のジャンルとしたとあるが、ジュネットはそれは誤りだと指摘する。抒情詩は
ジュネットによれば抒情詩無視はアリストテレスの学統をついだヘレニズム期のアレクサンドリア学派においても踏襲されていた。自身が抒情詩人だったホラティウスの『詩法』(岩波文庫の『詩学』に併録)もホメロス賛辞と劇詩形式の解説にとどまり、抒情詩についてはふれていない。抒情詩を最初に文学として認めたのは4世紀のディオメデスだった。ディオメデスはプラトンの三様式説(「詩人だけが語る」「交互に語る」「登場人物だけが語る」)をもとに、以下の三つのジャンルを立てている。
- 登場人物だけが語る劇的ジャンル(悲劇、喜劇、諷刺劇)
- 詩人だけが語る物語的ジャンル(物語、格言詩、教訓詩)
- 詩人と登場人物が交互に語る混合的ジャンル(叙事詩、抒情詩)
ディオメデスのジャンル論は中世末期において一度復活するが、抒情形式、叙事形式、劇形式という三分法が一般化するのは19世紀のロマン派の時代を待たなければならない。三分法についてはじめて語ったのはアウグスト・シュレーゲルで1801年頃のことだという。
叙事的、抒情的、劇的――テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ。軽やかな濃密さ、強烈な特異性、調和的な全体性……叙事的なものとは、人間精神における純粋の客観性である。抒情的なものとは、純粋の主観性である。そして劇的なものは、その両者の相互的浸透なのだ。
ヘーゲルは『美学』でシュレーゲルのジャンルわけを踏襲し、まず「ある民族の素朴な意識」の表現である叙事詩が誕生し、「個人的自我が民族から分離した時」に抒情詩が生まれるとしている。劇形式の成立はその後で、「叙事詩と抒情詩をとりまとめて客観的展開を含む新たな全体を形成」する。すなわち叙事詩-抒情詩-劇詩という順である。
この順番を抒情詩-叙事詩-劇詩という形にあらためたのはシェリングである。シェリングは『芸術の哲学』において主観的な抒情的叫びが時代の進展とともにしだいに客観性を獲得していくという発展説を述べた。
- 原初の時代の表現である抒情詩(「人間は生まれたばかりの世界で目覚める」)
- 「すべてが停止し固定する」古代の表現である叙事詩(ギリシア悲劇も含む)
- キリスト教精神と魂と肉体の断絶を特徴とする時代の表現である劇形式
この発展説が流布し現在にいたっている。ジョイスの『若い芸術家の肖像』のジャンル論もシェリング説を踏襲している。
では文学ジャンルはどうわけるべきか。ジュネットはロマン派の歪曲を払拭してアリストテレスの分類から再出発すべきだとする。アリストテレスは様式が劇的であるか、叙事的であるか、対象がすぐれた人物であるか、劣った人物であるかという二つの基準で分類した。図式化するとこうである。
様式 | |||
---|---|---|---|
劇的 | 物語的 | ||
対 象 |
すぐれた人物 | 悲劇 | 叙事詩 |
劣った人物 | 喜劇 | パローディアー(滑稽叙事詩) |
近代における代表的ジャンルとなった小説は劣った人物を叙事的に語る
ジュネットは最後に韻文と散文という様式の軸を導入し、八分割の立体構造を提唱し、長らく空白だった滑稽叙事詩の散文版の場所を近代にいたって誕生した小説が埋めたとしている。テクスト論を集大成したとされるジュネットの三部作の最初の巻だけに構えの大きい堂々としたはじまりである。