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『東京サイハテ観光』中野純:文 中里和人:写真 (交通新聞社)

東京サイハテ観光

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土地の命の力に押されて最果てに行ってしまった気持ちになる観光

どんな場所でも、そしてどこでもきっと同じ長さの、その土地自体の命がある。それに比べて私たち人ひとりぶんの一生はあまりに短く、しかも同じ場所にそう長くは居ないから、偏在する「土地の命」になかなか興味を向けることができない。観光地、出生地、勤務地などと呼んでみるのは、関心を土地に向かわせるために私たちが得た、手段ではないかと思われる。

「サイハテ」と呼んでくくった場所に足を運んで、その土地の命にじぃと瞳を向ける人たちがいる。「サイハテ部員」だ。その活動は「散歩の達人」などでも報告(「旧道部」として)されてきたが、一冊の本としてまとまったのがこの『東京サイハテ観光』である。執筆したサイハテ部員・中野純さんによると、どうということもない身近な景色に、突然ちょっとありえない光景を目にしたとき、そのありえなさがどんどんふくらんで、その土地のゾクゾクするような魅力に五感のすべてを震わせる——そんな場所を「サイハテ」と呼び、それを見つける「選景眼」を磨きに行く(なるべく裸足で)のが「サイハテ部」の部活だと言う。


東京を中心に、いわき、千葉、奥秩父、熱海あたりまでの21箇所が、そこに行き着く道、ロードを記したマップとともに紹介されている。物理的な最果てではないが、複数の部員が「サイハテ!」と納得した厳選された場所たちだ。たとえばこんな具合——ものすごくサギがたくさん集まる場所があるとの通報、でかけてみるとまったりとした川辺に茂るぼうぼうの木々がなるほどサギだらけ。10キロ上流に江戸のころからサギのコロニーがあったようだ。ならばその末裔なのか! 訪ねた道を吉川サギロードと名付ける。「川の周辺の景色がいいかげんだ。このゆるさがサギを呼んでいる」。中里和人部長の鋭い指摘に中野部員は背筋を正す。 そのゆるさにサギが集まり、サイハテ部員が集まって、そして東京サイハテの地、となる。

     ※

それで結局サイハテ、とは? この本の中には私がこれまでたまたま行ったことのある場所もいくつかあるから、その魅力はよくわかる(サイハテ准部員を自称してもいいかしら)、でもそのサイハテ感は、わからない。山と海とどっちが好きかと問われたときに川と答えるのがサイハテ部、とも書いてある。なるほど。それもクリアできるかも。しかしサイハテ感が、わからない。サイハテの精神について、中野さんは言う。

サイハテの地、辺境の地には、旧い文化が静かに生き残る。辺境とは、旧景と出会える場所だ。その一方で、辺境は新しい風景と出会う場所でもある。辺境を英語で言うとfrontier。……だから、サイハテの精神とは、開拓者精神(フロンティアスピリット)にほかならない。


旧い道を新しく愛で、出たとこ勝負の旅を重ねることで選景眼を磨き、日本の名景の再編をもくろむ「旧道部」としての活動が基になっているから、正規サイハテ部のサイハテ精神はこのようになるのだろうが、私にはちょっとピンとこない。ぶらり通りすがった土地でふと足が停まり見回した時に感じるその土地の命の力に、自分がエアポケットに入り込んでしまったような不安な気持ちに陥ることがある。ソワソワと、トイレに行きたいような帰りたくなるような。そういうサイハテ感ではないかと私は思う。細野晴臣さんが『観光』で言っていた。自分と地球を結ぶ糸のようなものの手応えを感じたら、「観光」という肉体と精神の移動によって平行表現して行くがいい、動き、停まり、感じ、そして表現して行くがいいと。サイハテ観光は、まさにそれだ。


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