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『ベッカー先生の論文教室』 ベッカー,ハワード・S.【著】 小川 芳範【訳】 (慶應義塾大学出版会)

ベッカー先生の論文教室

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「書きたい論文を書くための希望の書」

 本書は、『アウトサイダーズ-ラベリング理論とは何か』(新泉社)などの著作で知られる社会学者、ハワード・S・ベッカーが記した論文執筆の指南書である。初版は1986年に出ているが、その後も読み継がれ、本書は2007年に出された第二版の翻訳にあたる。

 まさに、表紙裏の折込にもかかれているように、論文を書きたい人にとっての「希望の一冊」というにふさわしい著作だと思う。

 というのも、よくあるマニュアル本のように細かなハウツーのテクニックについても記していながら、そもそも書きたい文章を書くとはいかなることか、そのためにはいかなる心構えが必要なのか、といった点にも触れられているからだ。

 自分の筆力のなさを棚に上げて記すが、いくつかの学会誌で編集委員として論文査読を経験してきた立場からすると、「書かされた論文」というものを嫌というほど読まされてきた。こうした論文は間違いなくつまらないし、そもそも気持ちがこもっていないからか表記の稚拙さという段階で、評価に値しないことが多い。

 だが、こうした論文を「書かされる」若手研究者の立場には同情せざるを得ないところもある。アメリカでも同じような状況があると本書では記されていたが、いわば研究職を得るうえでは、論文の掲載数が何よりも重視されているからである。本書で興味深かったのは、さらにアメリカではその論文の被引用数(どれだけ他の論文で引用されたか)も重視されるようになったため、以前と比べて学術論文のタイトルが長くなる傾向にあるという(多様な単語をちりばめておいたほうが引用される可能性が高まるからだろうと著者は解釈している)。

 実は本書を読んでいて一番おもしろかったのは、「むすびの言葉」で著者がこうした現状を徹底的に批判しているところだ。社会学の大家である著者が学会の現状を批判する言葉を、小心者である評者はハラハラドキドキしながら読んだのだが、その主張とは、(若手を中心とする昨今の研究者は)本当に書きたい論文を書けていないのではないか、もし本当に書きたい論文があるのなら、究極の選択としては自費出版や自らネット配信すればいいのではないか、もちろんチェックが手薄ということで文章の質が落ちる可能性はあるが、学会誌に投稿して表記の形式など事細かな要求ばかりされるよりはマシなのではないかといったものである。

 近年、評者が専門とするポピュラー文化研究のようなジャンルにおいて特に見られることなのだが、極端な言い方をすれば、学会誌よりもコミケで売られている同人誌のほうに、ヴィヴィッドで興味深い文章が掲載されていることが少なくない。こうした実態からすれば、著者の主張には十分に耳を傾けなければならないだろう。

 また、あまた記されたハウツーのテクニックの中で、特に評者の目を引いたのは、資料などを全て完璧にそろえてから書きはじめてはいけない、というものだった。もちろん向き不向きはあるのだろうが、評者はこれを早速取り入れ、それなりに効果があがった。

 すなわち、完璧主義的に、全ての必要な資料等をそろえてから、一字一句間違いのない文章を一気に書きおろそうとしてはいけないということなのだ。著者は、いわゆる「物書き」の専門家と目される人々が、初めから素晴らしい文章を書きあげているかのように思われているのは甚だしい誤解だと指摘したうえで、むしろメモ書きのような記述でよいので、とにかくどんどん書いていくことこそが重要であり、表記を整えたり、修正を加えるのは最後にまとめてすればよいのだと記している。

 そして、これも若手がハマりやすい落とし穴だとした上で、未完成の草稿を決して恥ずかしがることなく、他人に見せてアドバイスをもらいながら、上記のような修正作業をしていくのが大事だという。

 このように本書は、単なる論文執筆のテクニック指南書というだけでなく、まさに論文を書きたい気にさせる「希望の一冊」である。大学受験参考書でいうところの、いわゆる「実況中継」風に書かれた、さながらベッカー先生の授業に参加しているかのような文体も読みやすい、ぜひお勧めしたい一冊である。


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