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『<中性>について ―コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度』 バルト (筑摩書房)

<中性>について ―コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度

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 コレージュ・ド・フランスでの二年目の講義ノートである。講義は1978年2月18日から6月3日まで13回にわたっておこなわれたが、第一日目に断っているように講義の準備をはじめようとする時期にバルトは母を亡くしている。

 『彼自身によるロラン・バルト』を読んだ人ならおわかりのように、バルトはきわめつけのマザコンであり、母にべた惚れし、母以外の女性にはまったく興味がなかった。そういう重症のマザコン男が母と死別したのだから、悲しみに打ちひしがれ気力を失ったことは想像にあまりある(悲しみから立ちなおろうとした記録が『喪の日記』として残されている)。

 二年目の「<中性>について」というテーマは一年目の講義が終わった直後に事務局に提出していたの変更することはできないが、母の死をへて「中性」の意味あいが変わってしまったとバルトは語る。

<中性>について語ろうとする主体は、もはやそれについて語ろうと決意した主体とは同じではありえない→当初は、闘争の解除についてお話しすることが問題だったし、これからお話しすることは、やはりそのことである。なぜなら、コレージュの掲示を変えることはできないからだ。しかし、梗概と方法をお伝えしたこの言説のなかに、わたしは自分自身、今日、束の間、ある別の音楽を聞いている。どのような音楽なのか。次のようにして、この音楽の住まう領域、彼方を位置づけてみよう。つまり、最初の疑問から分離した第二の疑問として、最初の<中性>の背後にかいま見える第二の<中性>として。

 第二の<中性>についてふれるに、そもそも<中性>という言葉がなにを意味するかについて確認しておきたい。

 日本語で<中性>というと男性でも女性でもない中性という意味にとられやすい。特にバルトの場合ゲイであることをカミングアウトしているので、そう受けとる人はすくなくないだろう。

 だがそれは「零度のエクリチュール」を「凍りつくエクリチュール」とうけとるのと同じで、まったくの誤解である。バルトが「わたしは<中性>Le neutre を、範列の裏をかくものと定義する」と語っているように、<中性>と訳された Le neutre は中立とかニュートラルという意味であって、対立を回避し、やりすごすところに重点がおかれている。

 なぜバルトは<中性>というテーマを選んだのだろうか? 初年度のバルトは「いかにしてともに生きるか」という標題で抑圧のない共同体は可能かと問うた。二年目はそれを受けて、抑圧のない言語活動の可能性を考えようとしたのである。

 言語は分類であり、単語は対立によってなりたっている。言語で語った瞬間、われわれは対象を対立の一方と決めつけ、分類表に、つまりは範列に押しこめてしまう。言語とは本質的に抑圧的なのである。

 さらに他者とコミュニケーションしようとする場合は両者の力関係がからんでくる。コミュニケーションの過程でわれわれは自分自身でありつづけること、アイデンティティを押しつけられる。なによりも自我の一貫性がもとめられ、強固な自我をもつことがよしとされる。自我の一貫性があいまいだとうさんくさい奴と決めつけられ、しまいには狂人に分類される。

 バルトは分類を回避する言語活動の理念型として懐疑主義否定神学と禅と老荘を援用する。

 「正当な信仰は言葉を経由する」とボシュエが語ったように教会は言葉を使って祈れと命じ、神秘主義者の沈黙に敵意を向ける。これに対して懐疑主義者は沈黙で答える。懐疑主義者の沈黙は単なる口の沈黙ではなく、「思考」「理性」の沈黙である。

 懐疑主義は分類からの退却だが、否定神学は未分化なものに積極的な意義を見出す。バルトはシレジウスの詩句を引く。

あらゆる形<あらゆる色>を失いなさい、そうすればあなたは神と等しくなるだろう、

あなたの空は、静かな安らぎのうちに、あなた自身と等しくなるだろう。

 さらに禅と老荘は未分化を肯定するのみならず、攻勢に転じる。バルトは鈴木大拙公案の紹介と岡倉天心の『茶の本』によりながら、言語の裏をかくコミュニケーションの可能性について語っている。

<中性>は、目印と目印とのあいだに適切な距離を保つという微妙な実践となるだろう:<中性>=間隔(空隙をつくりだすこと)。それは異化や、距離を置くことではない。という、きわめて重要な日本の概念:時間、空間の間隔こそが、時間性、空間性を決定している:それらを決定しているのは、積み重ねでも、「過疎化」でもないのだ。

 日本人にとってはこそばゆくもあるが、これはあくまで 『記号の国』の日本像と同じバルトの夢想であって、そのことはバルト自身が何度も念を押している。

 禅や老荘をもちあげているといっても、バルトはフリッチョフ・カプラのように東洋神秘主義に淫しているわけではない。バルトが公案の突飛な戦略になみなみならぬ関心をいだくのは西洋の抑圧的な思考から逃れるためであって、東洋に真理が隠れているなどというニューエイジの物理学者のようなナイーブな期待はもっていないのだ。

 だから、バルトは無我の境地を実体化したり崇めたてまつったりはしない。公案はあくまでずらしであり、言語体系の揺さぶりであって、真理に通じる道ではない。公案で獲得した自由は西洋的自我を相対化するために用いられる。バルトはヴァレリーの『テスト氏』について語っている。

今日ヴァレリーの作品において時代遅れのようにみえるのは、自我である。というのも、自我が心理的(観念論的)実体とみなされているからだ。しかし実際には、ヴァレリーは自我を一つの異常、異常性として扱っている→テスト:流行ではこの主知主義的錯乱を理解できないために、ますます周辺的に見える、極度の周辺性の記述→絶対的に、反画一主義の本。わたしが話そうとしている意識、そしてテスト氏のなかには、完全に魔法にかけられたような自我との関係、自我による捕獲がある。

 バルトは自我の権化とされてきたテスト氏を自我の脱構築として評価しているのである。

 さて、いよいよ第二の<中性>である。当初、バルトが講義で語ろうとしたのは言語体系をやりすごし、アイデンティティのくびきをすりぬけるような<中性>だった。ところが母の死を経験して、そうした<中性>の背後に別の<中性>が垣間見えるようになったという。

 バルトはそれをパゾリーニの「ある絶望的な活力」という詩とダンテの『新生』を引きながら、生きる意欲と区別された「生命力」と表現している。それが何かは三年目の講義『小説の準備』を待たなければならない。

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