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『ロラン・バルト 最後の風景』 ジャン・ピエール・リシャール (水声社)

ロラン・バルト 最後の風景

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 ロラン・バルトとジャン・ピエール・リシャールはわたしがもっとも敬愛する批評家である。そのリシャールがバルトを論じた本を書いたというのだから、わたしにとっては大事件だ。ヌーヴェル・クリティックから構造主義批評、さらにはポスト構造主義へと変貌をくりかえしたバルトをヌーヴェル・クリティックにとどまったリシャールがどう料理するか――フランスの批評に関心のある人にとっても絶対に見逃せないカードだろう。

 ページをぱらぱらめくったところ、バルトがコレージュ・ド・フランスでおこなった講義、とりわけ『小説の準備』の話が中心になっているようなので、ぶ厚い三巻本を読んでから本書にとりかかった。

 感想は……十分準備した上で読みはじめたはずだが、予想以上の難物だった。リシャールとバルトはかなり読みこんでいるつもりだったが、それでも難しいのである。

 難解な理由は本書が下書き段階にとどまっていることにある。

 リシャールとバルトはヌーヴェル・クリティックの中でも「テーマ批評」と呼ばれる方法論を大成した両巨頭だ。バルトは『ラシーヌ論』を最後に「テーマ批評」から離れたが、リシャールは「テーマ批評」をつらぬき、今回もバルトを「テーマ批評」で腑分しようとしている。だが、肝心なところでやめてしまっているのだ。交響曲でいえば主題の提示だけで、展開部がないのである。

 リシャールはバルトから「粘りつくもの」への嫌悪とか「モアレ」の偏愛といったテーマを引きだしているが、その次の段階として、「粘りつくもの」や「モアレ」がバルトのテキストでどう実現しているかを具体的に引用し、バルト自身のテキストに語らせなければならない。ところが、それをやっていないのである。

 バルトを暗記するくらい読んでいる人ならともかく、ほとんどの読者は「粘りつくもの」とか「モアレ」と言われてもぽかんとするだけだろう。

 テーマの発見は直観によるしかないが、発見したテーマを実証し、展開するのは体力勝負になる。「テーマ批評」の真似ごとをやっているのでわかるが、とにかく時間と手間がかかるのである。テーマの実証と展開は一番おもしろい部分でもあるが、リシャールには「テーマ批評」を最後までやりとげる体力がもう残っていないのかもしれない。

 どうか本書で「テーマ批評」とはこんなものかとは思わないでほしい。幸いテーマの実証と展開を模範的にやり通したリシャール全盛期の傑作、『マラルメの想像的宇宙』が訳されているので、どうかそちらを読んでから判断してほしい。

 本書は「テーマ批評」としては下書きにすぎないが、リシャールの発見した「粘つくもの」と「モアレ」というテーマは筋がいいと思う。まっさきに頭に浮かんだのは『表徴の帝国』の天麩羅論のくだりだ。

 音楽の世界では先人の主題を使った変奏曲がよく書かれているが、リシャールの発見したテーマを展開させてみるのもおもしろいかもしれない。

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