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『友がみな我よりえらく見える日は』上原隆(幻冬舎)

友がみな我よりえらく見える日は

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「学歴を捨て、故郷を捨て、月給生活を捨て、有名であることを捨て、妻子を捨てて・・・」

 名作である。何度読んでもじんとくる。少なくとも私にとってはそういう本だ。
 早朝、そういえばこの書籍の著者の上原隆さんはどうしているのだろうか。生きているのか。この出版不況のなかで消えた作家になったのではないか。心配になった。検索すると、すぐにインタビュー記事が出てきた。杞憂だった。

http://konohoshi.jp/interview/UeharaTakashi/index.html

 初めて上原さんの顔写真を見た。視線を書棚に移すと、「友がみな我よりえらく見える日は」があった。今朝はこの本を再読しよう、と決めた。

 「芥川小説家」というインタビューコラムが好きだ。「オキナワの少年」で第6回芥川賞を受賞した作家、東峰夫を取材している。

 1956年、沖縄のコザ高校を2年で中退した。トルストイのほうが学校の勉強よりも楽しかったからだという。中退後は、米軍基地などで肉体労働をした。仕事を辞めては、読書と思索の日々を送っていると父親に、仕事をしろ,将来を考えろ、と言われた。26歳、1964年に沖縄を出て東京に移住する。東京の神田神保町で製本屋で勤務。朝から晩まで働いた。小説家になりたい東は、本を読んで勉強をしたい。肉体労働で疲れ果てて寝るだけの生活ではダメだと思う。そして、月給生活と決別する。日雇いアルバイトだけで食いつなぎ、仕事のないときに思索と執筆をすると決めた。1日働いて2-3日は勉強するという生活が始まった。幸福だったが金がない。ホームレスのようにゴミ箱をあさったこともある。こうして書きつづった小説が「オキナワの少年」であり、33歳のときに芥川賞を受賞した。編集者は、続編を書きなさい、と迫ったが、東にはその気は全くなかった。編集者からの依頼はなくなった。文筆業として終わったのである。有名な作家として生きることに興味がない東はせいせいしたようだ。39歳のときに沖縄の女性と結婚して二児の父親となる。妻がスナック経営をして家計を支え、東は主夫生活をした。妻が浮気をした。そして離婚。46歳になっていた。東京でひとり暮らしを再開した。ガードマンとして勤務。日当は11000円。ひとつきで15日勤務して、あとは休むという生活だ。1993年、55歳のときに、不況で失職した。高校中退で会社に正社員で勤務したことがない東に、就職先はなかった。というか、東のような感性の人間は死に物狂いで仕事を探すとか、正社員になろうという意欲はない。心配なので、東峰夫の消息を検索すると、生きているようだ。死亡記事はでていないので。

 上原は、東の生き方をこうまとめている。

「学歴を捨て、故郷を捨て、月給生活を捨て、有名であることを捨て、妻子を捨てて、東が得たのは、ひとり自由に想像することの喜びだった」

 こんなふうにしか生きることができない人間がいるのだ。

 失業中に読んでいると妙に元気が出てくる。私は、学歴、故郷、月給などのすべてに執着がある。まだ大丈夫だ。


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