『ジャニヲタあるある』みきーる【著】 二平 瑞樹【漫画】(アスペクト)
「「キャラ化」するオタク 」
本書は、いわゆるジャニヲタとよばれる、ジャニーズ系男性アイドルのファンたちの実態を、イラストを交えながら面白おかしくまとめたものである。
勤務先の大学にもジャニヲタがたくさんいるのだが、その中の一人から、「とってもうなづける点が多いので、ぜひ」にと勧められて手に取ってみた。
なるほど、読んでみると確かに面白い。冒頭にジャニヲタ特有のふるまいの例が50個挙げられているのだが、どれも「あるある」な感じがしてうなづけた。
中でも、「お互いの担当をほめそやす」(P55)、「隣が誰坦か、横目でチェックする」(P20)、「「当たった」ツイートがクソうざい」(P15)などは、まさにジャニヲタのコミュニケーションの典型例である。
ここでいう「担当」とは自分の好きなアイドルのことだが(誰坦とは、誰の担当か、ということだが)、ジャニヲタたちは、「お互いの担当をほめそや」して表面上は友好的にふるまいながら、内心では常に「横目でチェックして」いて、相手に自分よりも幸運が舞い込むと(例えばコンサートチケット等があたると)嫉妬に狂うのである。
だが、こうした個別のふるまいに対する「あるある」という感覚以上に、本書にはさらに大きくうなづける点があるのだ。それは、本書(あるいはその全体的な構成と言ってもいい)が、「キャラ化」ともいうべき現在進行形の社会現象をうまく表現しているということである。
それは本書の主たる内容が、「(こういう人)いるいる」ではなく、「(こういうふるまい)あるある」という形でまとめられているところに現われているとも言える。
よく言われる対比だが、「キャラクター」と「キャラ」との違いとは、前者がある一つの像に収斂する統一的な人格であるのに対して、後者は場面ごとに異なりうるふるまいであるということだ。
さらに噛み砕いて言えば、本書冒頭の50個のふるまいの例を読んでいて面白いのは、それぞれは個別に「あるある」な感じがするのだが、それを読み進めていても、頭の中では、ジャニヲタとはこういう人格だというような統一的な像がなかなか結ばないのである。
実はそれも道理で、本書でも「ジャニヲタ図鑑」というコーナー(P80~)で、一応人格化されたイラストイメージが示されているのだが、実にそこにおいても8パターンものジャニヲタ像が提示されているのである。
こうした点は一見些細なことがらに見えるけれども、20年近く前からこのフィールドに注目してきた立場からすれば、意外と見逃せない大きな変化と言わざるを得ない。
というのも、ジャニヲタにせよ、いわゆるオタクにせよ、かつてならば、それは間違いなく統一された一つの人格としての像を結んでいたからである。
それは、今でいうならば、非モテで非リア充の人々が、だからこそ虚構の世界の中に現実逃避のためのシェルターを求めているような文化であった。
しかし今やこの状況は変わっていて、彼氏がいてもジャニヲタであったり、オタクであるのに彼女がいたりもするし、あるいは一見リア充に見える若者が、ある場面ではとてもオタク的なふるまいをするようなこともある。
いわば、オタクという文化が、もはや統一された人格としての像を結ばずに、場面ごとのふるまいのあり方へと細分化していくような変化、すなわち「キャラ化」という社会現象こそが、本書を通読すると見事に浮かび上がってくるのである。
こうしたオタクの「キャラ化」は、リア充でありながらオタクといった存在からも伺えるように、オタク文化の底上げ化が成し遂げられた肯定的な成果のようにも見えつつ、一方で、現実から虚構世界へと向かう原動力とも言うべき、熱烈なルサンチマンが消失してしまうのではないかといった危惧をも抱かせるものである。
このように、本書はその内容の「あるある」感だけでも十分に楽しめるものだが、一歩引いた視点から、ファンやオタク達の文化の現状とこれからを考える上でも、実は示唆に富む一冊なのである。