2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧
→紀伊國屋書店で購入 ●「デジタル時代のエクリチュール」 ブラム・ストーカー作の小説『ドラキュラ』への言及から始まる評論集。数々の評論を一貫する問題設定は、メディア環境における「人間」や「知」のあり方だ。著者はキットラー。これまで、情報技術と…
『エリザベート』単行書を購入→ 『エリザベート』文庫(上)を購入→ 『エリザベート』文庫(下)を購入→ ソ連が崩壊し、ヨーロッパから共産圏が消滅し、欧州諸国が現在のように連携して通貨まで統一されるなど、誰に想像できただろうか。しかしそこに至るま…
→紀伊國屋書店で購入 「アリストテレスと聖書の結婚」 マイモニデスは、ユダヤ思想家として名高いが、これまではぼくの知る限りでは邦訳もなく、どんな思想的な環境で思索を行っていたのか、少しぴんとこなかった。しかしキリスト教の哲学に大きな影響を与え…
→紀伊國屋書店で購入 ●「蒙」を「啓く」/「網」を「開く」――エンライトメントとエンターテイメントのあいだ 18世紀の啓蒙主義時代に、文字でなく、視覚的なものが、人々の教育においてどのように用いられていたのかを問うこと。もし、本書に記されている内…
→紀伊國屋書店で購入 ●「《観察/操作》としての一致」 「何かが他の何かに似ている…」とは、どれほど確実な認識方法なのか。美術史を専門とするバーバラ・マリア・スタフォードの『ヴィジュアル・アナロジー つなぐ技術としての人間意識』(2006年、産業図…
→紀伊國屋書店で購入 由良君美という「敗者の精神史」 もう60冊は簡単に越えているのだろうか、四方田犬彦氏の仕事には無条件に脱帽してきた。とにかくアクチュアルであることに憑かれてパレスチナへ、クロアチアへ、韓国へと飛ぶ。どこまで知っているのかと…
→紀伊國屋書店で購入 ●「サイズからコンセプトモデルへ:「ビッグネス」と「スモールネス」」 「巨大な」本 『S,M,L.XL』という本書のタイトルは、展示や住宅を「S」、ホールやオフィスビルを「M」、巨大公共建築を「L」、都市計画を「XL」というように、対…
→紀伊國屋書店で購入 「いのちをつなぐ当番日記」 タネからまいたアサガオが、枯れてしまった。双葉が元気に開いたあとに生長が止まって、蔓を伸ばすことなく。いよいよだめだとあきらめた朝はつらかったが、久しぶりに鉢を選んで買うのも楽しかった。タネか…
→紀伊國屋書店で購入 今を記述すること。このことは常に困難を伴っている。今を記述しようとしても、記述しようとする今と記述という営みを行う今は必然的にタイムラグを含んでいる。その上に、その記述を読む今が積み重なることで、記述しようとした今は、…
→紀伊國屋書店で購入 ●「一般器官学と新たな政治エコノミーへ向けて」 「それは至るところで作動している、(・・・)至るところでそれは複数の機械である。それも、比喩的な意味ではなく。」(ドゥルーズ=ガタリ) 機械、というよりはむしろ器官と呼ぶのが…
→紀伊國屋書店で購入 「インカ帝国以前の国家の形成」 先日の日曜日(七月一日)NHKスペシャル「失われた文明 インカ・マヤ」のシリーズで、第一回の「アンデス ミイラと生きる」が放映された。ミイラの包みに顔を描いて、敵の神聖なる墓地を占拠して、支…
→紀伊國屋書店で購入 種村季弘の「散りつつ充ちる」 澁澤龍彦の蔵書目録が故人のエッセンスなのかもしれない。引用とアンソロジーが全てと御本人が仰有っていた通り、書名のみずらりと並び続けていくのを、読み手がたどりつつ自分なりにさまざまな脈路をつけ…
→消費文化とポストモダニズム〈上〉を購入 →消費文化とポストモダニズム〈下〉を購入 「ポストモダニズムとは何か」という問いに解を与えようとする試みは、常に挫折する運命にあ るのだろうか。 これまでにも「ポストモダニズムとは何か?」を説明しようと…
→紀伊國屋書店で購入 「グローバル・カルチャーの位置」 1955年、アメリカのイリノイ州に第一号の店舗を開いたマクドナルドが始めて日本にやってきたのは1971年のことであった。その後冷戦が幕を閉じ、新しい世界秩序が成り立っていく中で、マクドナルドはそ…
→紀伊國屋書店で購入 ●「資本主義世界における文化の政治と「記憶媒体hypomnémata」の実践」 資本の流れはあらゆる境界を踏み越えていき、その運動を通して、地球上に存在するさまざまな現実的統一性や想像的な統一性を動揺させつづけていく。そこで生み出さ…
→紀伊國屋書店で購入 「<人文知の現在>に抗って ――知のアメリカ化、幼児化、情報化」 人文知をめぐる重層的な問題系のあいだを横断し、人文知の現在を批判すること。閉域化し衰弱しつつある知的空間のなかで、人文知の在り方をその根底から問うこと。浅田…
→紀伊國屋書店で購入 BGM(Natural Born Killers/Soundtracks(1994))「Do you think I could be a movie star ? ... No」 あのリフに誘われて、ほとんど毎晩All That Jazzを観ていた時がある。1年ちょっと位だろうか。ほとんど毎晩酔いながら、ほとんど毎…
→紀伊國屋書店で購入 デジタル化という問題について考えるとき、オプティミスティックな技術決定論に対する批判的な態度は、もはや一応の定見であるかのようにみえる。それらはむろんITアレルギーのような単純なものではなく、起きていることがら、起きつ…
→紀伊國屋書店で購入 「なつかしさという紐のこぶ」 曇りの日も、晴れの日も。こんな日は、いい写真が撮れるかもしれない。写真家は、「○○に行ってみるか」と家を出る。すれ違う人や犬や建物を観察しながら、頭の中は時と場所を超えてゆく。「Web草思」に連…
→紀伊國屋書店で購入 「待望の神話分析の一冊目」 レヴィ=ストロースの『神話論理』の邦訳の刊行がやっと始まったことを祝いたい。原著が一九六四年の刊行であるから実に四〇年後の翻訳出版ということになる。ぼくは半ば諦めて、安価に入手できる英訳本四冊…
→紀伊國屋書店で購入 もっとストイックなドラコニアをという欲ばり そもそも2006年が読書好きにとってとんでもない「驚異の年」になったのは、松岡正剛『千夜千冊』(求龍堂)と『書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会)二点の刊行のせいである。貪…
→紀伊國屋書店で購入 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。 「唐王朝を揺るがした「安史の乱」は、六〇〇年におよぶ大変動の序奏だった。耶律阿保機のキタ…
→紀伊國屋書店で購入 「可能性の世界における「新しい批判」」 スティグレールによれば映画というメディアは、『技術と時間』シリーズの第二巻、『方向喪失』において分析された二つの要素から成り立っている。一つは正定立、すなわちある対象そのものへと到…
→紀伊國屋書店で購入 「『異邦人』は難解か?」 同僚のフランス語の先生と文学雑談をしていた時のことだ。その先生はその頃博士号を取得して、「文学博士」になったばかりの若いフランス人女性だった。お互いに授業でどんな作品を扱っているか話していたのだ…
→紀伊國屋書店で購入 ●「スティグレールの記憶技術論——正定立、プログラム、時間的対象」 スティグレールは『技術と時間』シリーズの第一巻『エピメテウスの過ち』において、「人工補綴prothèse」としての技術の次元が人間の時間性や歴史性の根源的な条件を…