書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

勝田有子

『夏の流れ―丸山健二初期作品集』丸山健二(講談社文芸文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「オブセッション 三島由紀夫との分岐点」 「シェパードの九月」という中篇がある。犬の飼い主としての遍歴を綴ったもので、おそらくは丸山自身をモデルとしているのだろう。飼い主の執着と途方もない勝手に翻弄される犬たちは、次から…

『精神分析臨床を生きる―対人関係学派からみた価値の問題―』サンドラ・ビューチュラー 著 川畑直人・鈴木健一 監訳 椙山彩子・ガヴィニオ重利子 訳(創元社)

→紀伊國屋書店で購入 「臨床への信念」 サンドラは、長い黒髪と大きな黒い瞳を持つ、身の丈150センチ足らずの小柄な女性だ。けれども、こぢんまりとした佇まいからは、地に足の着いた確固たる意気が伝わってくる。殊のほか印象的なのは、彼女が語る時の真剣…

『蛇を踏む』川上弘美(文春文庫)

→紀伊國屋書店で購入 ">―平成版『死者の書』― 先頃、新聞で川上未央子の作品についての書評を読んだ。彼女の著作は読まず嫌いであったけれど、興味をそそられたので読んでみることにした。一冊読んで感心したので、次々に読み進めてみた。そうして、やがて気…

『ハロルド・ピンター〈1〉温室/背信/家族の声』ハロルド・ピンター 貴志哲雄(ハヤカワ演劇文庫)

→紀伊國屋書店で購入 ―「現実」をめぐる劇作家の支配― 戯曲を読むことは小説を読むのとは違った体験となる。当然のことながら、戯曲では、台詞が物語の構成要素のすべてといっても過言ではない。それに比べれば、小説はトガキで埋め尽くされているようなもの…

『エーテル・デイ―麻酔法発明の日』ジュリー・M・フェンスター 安原和見 訳(文春文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「医療史の分水嶺を生きた群像」 麻酔のなかった時代、外科手術は何を当てにしていたのか。ざっと羅列するとこのようになるらしい。ちなみに、これは欧米の場合。1)アヘンの使用。2)アルコールの使用。3)心頭滅却。4)催眠術。5…

『蝶』皆川博子(文春文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「供養の花火」 『蝶』は八篇の短編から成る。いずれも20頁余りの小品だが、戦時を時代背景とした全編は、短さゆえとも言える凝縮した念を感じさせ、厳粛な光芒を放っている。時に妖気、時に殺気を放って風景を変えながらも、打ち上げら…

『内田百閒( (ちくま日本文学 1) (文庫) 』内田百閒(ちくま文庫)

→紀伊國屋書店で購入 ">「深入りしない物(もの)の怪(け)」 内田百閒の作品では、始終、男が歩いている。大概は、土手を歩いている。歩いているうちに、しばしば、物の怪が現れる。両者はしばらく同行し、いかにも物の怪らしい挙動があったりなかったりして、…

『無能の人』つげ義春(新潮文庫)

→紀伊國屋書店で購入 ">―「蒸発」不能者を慰安する水墨漫画― わたしには潜行する癖(へき)がある。石を拾う。随分前のこと、居間に転がった無数の石を一念発起して庭先へ放逐してからというもの、持ち帰る頻度こそ激減したが、石を見ると気がそぞろになる。ポ…

『山梔 (くちなし)』野溝七生子(講談社文芸文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「肉食系少女の曙」 久しぶりに空恐ろしい小説を読んだ。怖ろしいのは冷血無比な殺人者でもなく、霊界・幽界の魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)でもない。芳香を放つクチナシを母の髪に添えようと、その繊細な小枝に届かぬ手を伸ばす少女こそ…

『白川静―漢字の世界観』松岡正剛(平凡社新書)

→紀伊國屋書店で購入 「巫の書」 本書の仕立ては、博覧強記の鬼才松岡正剛にしては驚くほど抑制が利いている。舞台裏の編集者としての器量が存分に発揮された名著だ。碩学を一般読者へ紹介するために要する膨大な知識と情報は惜しみなく割愛され、白川学のツ…

『いつか記憶からこぼれおちるとしても』江國香織(朝日出版社)

→紀伊國屋書店で購入 「少女たちの残酷、そして不感症」 江國香織の作品は読んだことがなかった。多作の作家への謂れのない不信感と、直感的姓名判断によるまったく謂れのない猜疑心が重なってのことだ。だから、或る友人が本書を懲りずに勧めてくれても、わ…

『朗読者』ベルンハルト・シュリンク(新潮文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「文字と声」 多くのこどもたちは寝る前のお話を聴きたがる。ところが、そんなに焦がれた枕元の朗読を、こどもたちはいつしか打ち忘れて、ひとりで眠るようになる。多くのおとなは手間の省けたことに安堵し、自分たちの時間を取り戻す。…

『どうで死ぬ身のひと踊り』西村賢太(講談社)

→紀伊國屋書店で購入 ―空虚を許さないエゴ・ゲロ私小説― 或る友人によれば、わたしはエロ・グロ趣向なのだという。わたしにはこの評価を受け入れる気は毛頭なくて、エロ・グロにナンセンスを加えれば同意しなくもないという保留で応酬してきた。勿論、友人は…

『三四郎』夏目漱石(岩波文庫)

→紀伊國屋書店で購入 ―未罪への遡及― 診察室で出会う人たちが読書家と知ると、「今、何を読んでいるの?」と尋ねないではいられない。先日、ある青年に恒例の質問をしたら、「『国富論』と『論語』を読んでいます」という返事が返ってきた。彼は、古今東西の…

『閉鎖病棟』箒木蓬生(新潮文庫)

→紀伊國屋書店で購入 ">―浪花節版『ショーシャンクの空の下に』― もとより辛気臭いわたしが曲がりなりにも生活していくためには、必要な条件というものがいくつかある。ある種の感動もそのひとつだ。たとえば、『ショーシャンクの空の下に』を観た(原作は読…

『百』色川武大(新潮文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「孤独の共犯」 本書は、「連笑」「ぼくの猿 ぼくの猫」「百」「永日」の四つの作品を収めた作品集である。川端康成文学賞を受賞した「百」を銘打っての一冊で、この意表を突いた題名は、父親の届かんとする年齢を意味している。 色川武…

『ギャシュリークラムのちびっ子たち』エドワード・ゴーリー 柴田元幸 訳(河出書房新社)

→紀伊國屋書店で購入 「物騒な絵空事」 毎日のニュースでは物騒な事件に事欠かない。身内と身外を問わず、こどもたちが流血の惨事を繰り広げている。物騒であろうがなかろうが、空想と現実には連なりこそあっても、大きな懸隔があるはずなのに、そう信じるこ…

『不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望―』春日武彦(文藝春秋)

→紀伊國屋書店で購入 「感情的啓蒙書という文学」 この本は痛快きわまりない。深夜に読んでいて、何度、不気味な高笑いをしたかわからない。著者は冒頭に「わたしの書き綴った内容が上手く読者諸氏へ伝わるなら、おそらく本書はきわめて後味の悪い読後感をも…

『無名』沢木耕太郎(幻冬舎)

→紀伊國屋書店で購入 「現実と虚構における殺害の必然」 どうした風の吹きまわしか、近頃のわたしは実話に惹かれるようだ。たとえば『無名』がそうであるように、個人的事実をもとに描かれた随筆や、その事実に若干の虚構を施したような小説にこころの癖が向…

『心中への招待状-華麗なる恋愛死の世界』小林恭二(文春新書)

→紀伊國屋書店で購入 「虚実の際(きわ)に耐えた心中の観客たち」 著者の小林恭二は三島由紀夫賞を受賞した『カブキの日』のみならず、『悪への招待状―黙阿弥歌舞伎の愉しみ』の著作もあるように、歌舞伎をはじめとする古典芸能に造詣が深い。本書では、心…

『桜の森の満開の下』坂口安吾(講談社文芸文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「峠という結界で」 桜の開花と散花ほどに時を感じさせるものはない。今年も地元の桜の推移にこころ巡らせていたものの、異郷の桜を求める欲に駆られ、気がそぞろになった。ところが、遠い地の或る桜を死ぬまでには拝みたいと望んでも、…

『インディアナ、インディアナ』レアード・ハント 柴田元幸訳(朝日新聞社)

→紀伊國屋書店で購入 「もののあわれとノアの箱舟」 『インディアナ、インディアナ』では、ノアという主人公の記憶と思索、過去と現在が去来する。それらは散乱しているかの印象を与えるし、実際、ノアはつれづれに回想したり夢想したりしている。つれづれな…

『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 (早川書房)

→紀伊國屋書店で購入 「仕掛けられたSF」 『わたしを離さないで』は紛れもなくSFである。そして、郷愁の想いが全編を通じて深々と読者のこころに沁みわたる逸品である。 主人公たちにとっての故郷、彼らの出自(ルーツ)、そこからの出立とそれらの喪失は、…

『孤独の発明』ポール・オースター 柴田元幸訳(新潮文庫)

→紀伊國屋書店で購入 ―狂気の発明― かつてオースターの諸作品を読んだ時、そこに綴られる世界に戦慄に近い感覚を覚えたのを思い出す。そこには、分裂した精神が奇妙な具合に統合されているような独特の空気があった。思考と感覚のあいだの連結が外れたり繋が…

『世相・競馬』織田作之助(講談社文芸文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「蛍を追う」 折々に気がかりになる作品というものがある。わたしの場合、織田作之助の「蛍」がそれで、数年に一回は読み直す。20頁にも満たないその短編を最初に読んだのは、随分と昔のことで、昭和22年に中央公論社から出た織田作之助…

『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック 神宮輝夫訳(冨山房)

→紀伊國屋書店で購入 「内なる怪獣」 半世紀近くにわたって世界中のこどもたちに愛読されてきた本書を今さら取り上げるのにはわけがある。センダックの作品は、比較的多くが日本語にも翻訳されているが、彼の芸術への信仰と熱情はあまり知られていない。 わ…

『悪童日記』アゴタ・クリストフ 堀茂樹訳(早川書房)

→紀伊國屋書店で購入 「心的外傷と創作という治癒の道程」 『悪童日記』を初めて読んだ時の新鮮なざわめきは、15年以上たった今も変わりない。その間にも、諸外国でベストセラーとなったこの作品は、三部作をなすほかの二作とともに文庫化されて、日本でもそ…

『碁を打つ女』 シャン・サ著 平岡敦訳 (早川書房)

→紀伊國屋書店で購入 「心中にみるカタルシスと救済」 時代は日中戦争の勃発する1937年。男は満州へ配属された20代の日本人士官。女は16歳の満州の娘。二人はお互いの素性も国籍も名前すらも明かすことなく、灼熱の広場で、基盤を挟んで、連日の対局に向かう…

『美しい夏』 チェ-ザレ・パヴェ-ゼ[著] 河島英昭[訳] (岩波文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「夏の供犠」 「生きていくって思い出すことなのね」と、ある16歳の少女に言われ、胸を突かれたことがある。近頃のわたしにとって、読書とは思い出すことのようだ。『美しい夏』も例外ではなくて、読み始めるなり、あたかもデジャ・ヴュ…

『旅の時間』吉田健一(講談社文芸文庫)

→紀伊國屋書店で購入 「緩やかに在るということ」 今年は、吉田健一没後30年にあたる。昨年は「ユリイカ」での特集など企画されたが、吉田健一の作品群は、現在、軒並み絶版となっている。手軽に入手できるもののなかに『時間』というエッセイがあるが、その…